2 「零戦」のライバル戦闘機
Q:零戦は本当に強かったのですか?
A:うん 強かった! 最高に強かったよ。
Q:どのくらい、強かったの?
A:それは、世界一だね!
Q:だけど、防御力が弱かったと聞いたが
其れはどうなんですか?
A:零戦が設計された時期の戦闘機では、世界
各国ともたいした防御を考えておらず、
特別、零戦だけが防御を無視していた訳では
ないんだよ。
Q:それでは、何故そんなに強かったの?
A:それは、優れた設計による零戦の機体と
優秀な操縦士に恵まれた事だね。
では、零戦の強さの秘密を教えてあげよう!
これは、或る模型店で「零戦」のプラ・キットを小脇に抱えた少年
と店の主人との会話である。此の話に有るように零戦は本当に強く、
実によく戦った。
当時の世界各国の一流機と格闘戦(ドックファイト)を行ったら、
抜群の空戦力を持つ零戦にかなう戦闘機は無かったで有ろう、真に
世界一の戦闘機で有る。零戦が設計された頃の空中戦は格闘戦が主流
で、戦闘機には高速と優れた運動性能が要求された。
高速を得る為には翼面積を小さくしなければならない、しかしそれ
により翼面荷重値が上がり安定性を悪くする、運動性能を良くしよう
と翼面荷重値を小さくすると高速を得ることが難しくなるのだ。此の
相反した条件を、徹底した機体の軽量化と空気力学の追及により見事
克服、調和させたのが、青年技術者、堀越二郎率いる三菱の技術陣で
あった。
それでは零戦と闘った、各国のライバル戦闘機に簡単な説明を付け
ながら、性能を比較検討してみよう。
ロッキードP−38Fライトニング
昭和17年末より出現、排気タービンを搭載した最初の実用機で高空性
能と速力では零戦より勝っていたが、480km/時以下での運動性能は全
ての高度に於いて零戦の方が優れていた。
ベルP−39D−1エアコブラ
昭和17年4月よりニューギニア戦線で行動、低空から高度3,000メート
ル前後では加速力、上昇力が零戦より勝っていたが、それ以上の高度
では全ての点で零戦の方が優れており運動性能などでは問題に成らな
かった。
カーチスP−40Fウォーホーク
昭和13年より開発開始された実用性の高い機体で、世界各地で使用され
太平洋戦線では、ニューギニアやソロモン方面で行動。零戦との比較テ
ストはエンジン不調のため、中止されている。
リパブリックP−47サンダーボルト
昭和17年から量産され、太平洋戦線には昭和18年6月に出現、全戦域で
行動、本土空襲にも参加。頑丈な機体の超重量級戦闘機で、米国の戦闘
機中生産量一番である。零戦との比較テストの記録なし。
ノースアメリカンP−51ムスタング
昭和20年、B−29を護衛し日本上空に出現、長大な航続力を持ち、低空
での上昇力以外は全て零戦より互角か勝っていた。特に速力、加速の点
が優れており、米軍機中初めて一対一で闘える零戦の強敵で有った。
ブリュスターF2Aバッファロー
昭和17年ミッドウェーで零戦と初交戦一方的に零戦が勝利を納め、ビル
マ戦線では、隼とも交戦したがこれも一方的に撃墜、零戦の敵では無か
った。
ボートF4U−1コルセア
昭和18年ガタルカナル島に進出、速力と高速での旋回性能が優れていた
が、水平速度と上昇力では零戦が勝っており格闘戦では優位であった。
しかし防弾を施した燃料タンクと丈夫な機体は脅威となった。
グラマンF4F−4ワイルドキャット
昭和10年から開発され改良を重ね、性能向上を図り4年後に採用され、
主力艦戦となり開戦時よりガタルカナル島攻防戦で零戦と対戦、一対一
なら零戦が必勝。高速での旋回以外は全て零戦が勝っていた。
グラマンF6Fヘルキャット
昭和18年10月、F4Fの後継機として登場、零戦と初対決した。大馬力
のエンジンにも拘らず、旋回性能以外がわずかに優れていたに過ぎず、
零戦との比較テストの後「零戦52型と格闘戦をしてはならない」と警告
を出している。
グラマンF8Fベアキャット
零戦打倒のみを目的に開発、捕獲した零戦の性能を徹底的に究明し設計
されたが、零戦の機体の軽量化思想を充分に意識したものと思われる。
終戦により零戦との対決は無かったが、P51ムスタングとの模擬空戦で
はF8Fの勝利であった。
ホーカー・ハリケーン
スーパーマリン・スピットファイア
ホーカー・ハリケーンと共にヨーロッパ戦線ではドイツ軍機を相手に善
戦したが、零戦との戦いでは、到底敵で無かった。
零戦と米戦闘機の性能比較は、捕獲した零戦21型を米陸軍基地ライト
・フイールドで、徹底的に行われた調査の結果を発表した報告書「情報
諜報概要第85号」を要約したものである。
この報告書ように一対一で零戦に勝てる戦闘機は、P51ムスタングの
出現まで皆無であった。米軍は一連のテストの結果を3Never
do not(ネヴァードゥノット):絶対してはならない、との警告を
発令した。
@ ゼロと格闘戦を絶対にしてはならない。
A ゼロの真後ろに位置した時以外、480km/時以下の速度
で戦闘を絶対にしてはならない。
B ゼロが低空で上昇に移った時、絶対に追尾してはなら
ない。
此の警告に対し、米軍のパイロットは「それでは、どのようにしてゼ
ロと闘うのか」と質問をした。
答えは、ゼロに近寄るな!であった。又「ゼロと雷にあったら退避せ
よ」との伝説的指令書が実際に出ていた。ゼロと出会った時は逃げても
敵前逃亡で責められる事は無かったのである。
しかし昭和17年中頃より数を以て押し寄せる米新鋭戦闘機は頑丈で、
高速性能では勝っていた、これを生かした新戦法により、数に劣る零戦
は苦戦を強いられていった。
昭和18年頃になると3倍以上の敵機との交戦が常で有り、零戦の消耗
も激しく成るのに対し、補充は限られた数で有った。それと共にベテラ
ンパイロットも減少して行き、「無敵零戦」の神話も徐々に崩れて行っ
たのである。
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