[PR]バストアップ人気サプリメント:最高級プエラリア注入!特価2980円

日本潜水艦史

第二章 潜水艦の建造

  1 技術導入での建造

  ホーランド型

   日本海軍が始めて保有した潜水艦は、米国エレクトリック・ボート
  社製のホーランド型潜水艇5隻であった。これは同社において突貫工
  事で製造され、一度解体された後、汽船神奈川丸により横浜に運ばれ
  てきた。組み立ては横須賀工廠で米国人技師の指導のもと着手、明治
  38年7月31日に1号艇が完成したのを始めとし、明治38年10月1日迄
  に全艇5隻が完成した、これがホーランド型潜水艇「第1型」である。
   続いて川崎造船所が入手した新型艇の図面により、日本人だけの手
  でとの意気込みで、ホーランド型改とも言うべき、ホーランド型潜水
  艇「第6型」2隻が建造された。
   本艇は「第1型」より小型であった。それは攻撃地点まで、母艦に
  よる運搬を容易にするためであり、又潜舵を設けた船体は「第1型」
  より潜水時の安定性を優れたものにしたが、機関に信頼性を欠く所が
  あった。
   このホーランド型は凌波性、航洋性共に未発達で、外洋で作戦行動
  に乏しく、当初期待したほどの戦力になる兵器には程度遠いものであ
  った。しかし、第6型「第6潜水艇」のごとく、内燃機による潜航走行
  実験に使用され、大きな犠牲を出す、残念な事故なども有ったがその
  原因を良く追究し、潜水艦に対する認識を深め、造艦、運用術の習得
  更にその後の潜水艦乗りの養成には大きな貢献をした艦型である。

 ホーランド型(第1型)
第1潜水艦 明治38年7月31日竣工 大正10年4月30日除籍 横須賀工廠で組立
第2潜水艦 明治38年9月5日竣工 大正10年4月30日除籍 横須賀工廠で組立
隊3潜水艦 明治38年9月5日竣工 大正10年4月30日除籍 横須賀工廠で組立
第4潜水艦 明治38年10月1日竣工 大正10年4月30日除籍 横須賀工廠で組立
第5潜水艦 明治38年10月1日竣工 大正10年4月30日除籍 横須賀工廠で組立

      全艦5隻とも、明治38年12月12日、水雷艇より潜水艇に類別変更、
      大正8年4月1日潜水艦に改名、再度3等潜水艦に類別変更。

 ホーランド型改(第6型)
第6潜水艦 明治39年4月5日竣工 大正9年12月1日除籍 川崎造船所で建造
第7潜水艦 明治39年4月5日竣工 大正9年12月1日除籍 川崎造船所で建造

      第6潜水艇は、明治43年4月15日瀬戸内海新湊沖で潜航走行中、事
      故のため沈没、引き揚げ後再度使用、除籍後も潜水学校に記念艦と
      して保存。2艦とも竣工時潜水艇に類別、大正8年4月1日再度3
      等潜水艦に類別。第7潜水艦は除籍後、呉工廠で解体。

  要目     ホーランド型(第1型)第1潜水艦の新造時を示す。
  常備排水量  水上 103トン、水中 124トン。
  全長     20.42m、 最大幅 3.63m、 吃水 3.12m。
  機関     オットー式ガソリン機関1基、1軸。
  燃料搭載量  ガソリン2トン。
  出力     水上 180馬力、    水中 70馬力。
  速力     水上8ノット、    水中7ノット。
  航続距離   水上8ノットで 264浬、水中 6.8ノットで20浬。
  安全潜航深度 46m。        乗員16名。
  兵装     45cm魚雷発射管1門(艦首) 魚雷搭載数2本。

  要目     ホーランド型(第6型)第6潜水艦の新造時を示す。
  常備排水量  水上 57トン、水中 63トン。
  全長     22.25m、最大幅 2.13m、吃水 2.04m。
  機関     スタンダード式ガソリン機関1基、1軸。
  燃料搭載量  ガソリン1.4トン。
  出力     水上 250馬力、    水中 22馬力。
  速力     水上 8.5ノット    水中4ノット。
  航続距離   水上8ノットで 184浬、水中4ノットで12浬。
  安全潜航深度 30.5m。       乗員16名。
  兵装     45cm魚雷発射管1門(艦首) 魚雷搭載数1本。
         第7潜水艦」は排水量、寸度共に増大している。

  C型潜水艦の建造
   いまだ自力建造に途惑いを感じていた日本海軍ではホーランド型に
  つづき、明治42年、英国ヴイッカース社製C型潜水艇5隻の購入を決
  めた。2隻は同社で建造し特殊運搬船トランスポルダー号に搭載され
  日本に運ばれてきたが、後の3隻は材料を輸送の上、呉工廠で改良を
  加え建造された。
   C型はホーランド型に比べ、排水量では約3倍にも達し、水上、水
  中航続距離や航行速力も増大し又潜望鏡2本、発射管2門を装備する
  など、兵装においても強化された実用的な潜水艇に発達していた。
   呉工廠での3隻は英海軍が建造中であった改C型の情報により、艦
  橋の大型化、上部構造物を艦首まで延長するなどの改良を加え、より
  凌波性の改善を図った。
   そのためヴイッカース社と、呉工廠で建造したのをそれぞれC1型
  C2型と型式別に呼称した。C型の完成により日本海軍は、沿岸防御
  に有力な潜水艇を保有するに至ったのである。

 C1型(波1型)
波号第1 明治42年2月26日竣工 昭和4年4月1日除籍 ヴイッカース社建造
波号第2 明治42年3月26日竣工 昭和4年4月1日除籍 ヴイッカース社建造

 C2型(波3型)
波号第3 明治44年8月21日竣工 昭和4年4月1日除籍 呉工廠で建造
波号第4 明治44年8月26日竣工 昭和4年4月1日除籍 呉工廠で建造
波号第5 明治44年8月31日竣工 昭和4年4月1日除籍 呉工廠で建造
     全艦5隻とも、大正8年4月1日潜水艇より潜水艦に改名、
     3等潜水艦に類別変更。大正12年6月15日、波号第1〜波号
     第5と改名。

  要目     C型(波1型)波号第1の新造時を示す。
  常備排水量  水上 286トン、水中 321トン。
  全長     43.33m、 最大幅 4.14m、 吃水 3.43m。
  機関     ヴイッカーズ式ガソリン機関 1基1軸。
  燃料搭載量  ガソリン15トン。
  出力     水上 600馬力、    水中 300馬力。
  速力     水上12ノット、    水中 8.5ノット。
  航続距離   水上12ノットで 660浬、水中4ノットで60浬。
  安全潜航深度 30.5m。       乗員 26名。
  兵装     45cm魚雷発射管2門(艦首) 魚雷搭載数2本。
         C2型は、排水量が水上時で約5トン増加したが
         その他、寸度や搭載機関は同じである。

  川崎型(波6型)
   川崎造船所では、英国のC型と比較するため、1隻の試験艇建造に
  着手、大正元年に竣工させた。
   本艦はホーランド型の実績を生かし、日本人初の設計により日本海
  軍独自の着想で作業は進められた。本艦はC型より2倍近い馬力の機
  関を搭載し、速力の向上を図ったが、この機関が所定の出力を発揮で
  きず、さらには途中、設計の変更などがあり、失敗の要因を作った。
   C型と比べ、特に見るべき点も無く、実用性に関しても満足出来る
  ものでなかった。そのため同型艦は建造されず、またこれ以後、日本
  海軍独自の設計、建造は当分見送られるようになった。

 川崎型(波6型)
波号第6 大正元年9月30日竣工 昭和4年4月1日除籍 川崎造船所で建造
     大正8年4月1日潜水艇より潜水艦に改名、3等潜水艦に類別変更。
     大正12年6月15日、波号第6と改名。

  要目     川崎型(波6型)の新造時を示す。
  常備排水量  水上 304トン、水中 335トン。
  全長     38.63m、 最大幅3.84m、 吃水3.05m。
  機関     スタンダード複動式ガソリン機関 1基1軸。
  燃料搭載量  ガソリン17.8トン。
    出力     水上 1,160馬力、     水中 300馬力。
  速力     水上 10ノット、     水中8ノット。
  航続距離   水上 10.8ノットで 560浬、水中4ノットで60浬。
  安全潜航深度 30.5m。         乗員26名。
  兵装     45cm魚雷発射管2門(艦首)魚雷搭載数2本。

  C3型(波7型)
   日本海軍では、川崎型以来、独自による建造を中断していたが、第
  一次世界大戦が始まり、ヨーロッパにおける潜水艦の活躍に注目し、
  新型潜水艇の建造をめざし再開した。
   しかし自力による設計にはいまだ難点も多く、といって大戦中のヨ
  ーロッパからの技術導入も難しく、結局建造した艦は、C型に改造を
  加え、雷装を二倍に強化しただけのものに止まり、特に発展は見られ
  なかった。
   尚、この改造により増強した発射管も外装式であったため、自質的
  には戦力を向上させるには至らなかった。これをC3型と呼び2隻建
  造された。

 C3型 (波7型)
波号第7 大正5年10月31日竣工 昭和4年4月1日 除籍 呉工廠で建造
波号第8 大正6年2月20日竣工 昭和4年4月1日 除籍 呉工廠で建造
     大正8年4月1日潜水艇より潜水艦に改名、3等潜水艦に類別変更。
     大正12年6月15日、波号第7、波号第8と改名。

  要目     C3型(波7型)の新造時を示す。
  常備排水量  水上 290トン、    水中 323トン。
  全長     43.73m、 最大幅4.14m、 吃水3.43m。
  機関     ヴイッカース式ガソリン機関 1基1軸。
  燃料搭載量  ガソリン18.2トン。
  出力     水上 600馬力、    水中 300馬力。
  速力     水上12ノット、    水中 8.5ノット。
  航続距離   水上12ノットで 660浬、水中4ノットで60浬。
  安全潜航深度 30.5m。       乗員30名。
  兵装     45cm魚雷発射管2門(艦首)同2門(外装)魚雷搭載数4本。

  S型、ローブーフー型(波9型)
   C型に続き更に新技術導入のため、仏国の最新式潜水艇ローブー
  フー型2隻の購入を決め、明治44年シュナイダー社に発注した。しか
  し第一次大戦勃発により、一番艦である第14潜水艇は仏海軍に買い取
  られ、2番艦は買収を避けるため工事未完のまま日本に輸送されるこ
  とになった。
   大正5年6月10日、呉に到着した2番艦はその後約1年をかけ残工
  事を完了し、大正6年7月ようやく竣工、第15潜水艇と命名された。
   引き続き、第14潜水艇の代艦も呉工廠において建造され、この2隻
  の潜水艇をS型と称した。S型が採用していた、二重殻(複殻式)船
  体構造や石油機関2基搭載、2軸などの新方式は日本海軍初めてのも
  のであり、その後、我が海軍の潜水艦建造には、大いに参考になった
  艦型である。

 S型(波9型)
波号第9 大正9年4月20日竣工 昭和4年4月1日除籍 呉工廠で建造
波号第10 大正6年7月20日竣工 昭和4年4月1日除籍 シュナイダー社建造
     大正8年4月1日潜水艇より潜水艦に改名、3等潜水艦に類別変更。
     大正12年6月15日、波号第9、波号第10と改名。

  要目 S型(波9型)新造時の波号第10を示す。
  常備排水量    水上 450トン、     水中 665トン。
  全長        56.74m、最大幅5.21m、吃水3.10m。
  機関       シュナイダー式石油機関 2基2軸。
  燃料搭載量    石油12.6トン。
  出力       水上 2,000馬力、    水中 850馬力。
  速力       水上17ノット、     水中10 ノット。
  航続距離     水上10ノットで 2,050浬、水中4ノットで60浬。
  安全潜航深度   40m。         乗員39名。
  兵装       45cm魚雷発射管2門(艦首)同4門(水上)
              魚雷搭載数8本。

           呉工廠で建造された「波号第9」は、排水量、主要
           寸度に若干増大を見たが、搭載した主機などは変更
           なく、性能的に大きな変化は無かった。日本潜水艦
           では、初めて砲銃の搭載が試みられ、5cm単装高角
           砲が装備された。

  F1、2型(呂1、2型)
   大正4年7月、川崎造船所は当時世界的優秀艦と定評があったロー
  レンチ型潜水艦と同時にフイアット式デイーゼル機関の製造権を、伊
  国フイアット・S・ジョルジョ社より取得、建造に着手した。
   本艦型はディーゼル機関を採用、大出力による高速と雷装強化に加
  え7.5cm砲搭載などの兵装が施された、更に船体の艤装などにも幾多の
  新機軸を取り入れた大艦型で「F型」と呼ばれた。
   大正9年、竣工した2隻は予想に反し、公表潜水深度に達する前に
  船体に歪みを生じるなど使用実績は意外に悪く、実用性に乏しい艦で
  あった。しかしこの頃すでに次の3隻が着工されており、これらには
  船体強化などの改良が極力施され、大正11年に完成した。改良前を、
  F1、改良後をF2型と呼んだ。
   F2型には、国産のフイアット式ディーゼル機関が搭載されたが、
  故障が頻発し、加えて所定の出力を得られず、F1型に比べ速力も大
  きく低下した。このようにF型からは予期した性能が期待できず、又
  この頃には、これ以上の潜水艦が国産化されつつあり、当初10の隻建
  造予定が5隻で打ち切られた。
   しかしディーゼル機関の採用により、ガソリンによる危険が無くな
  った事は、乗組員に大きな安心感を与えた。

 F1型(呂1型)
呂号第1 大正9年3月31日竣工 昭和7年4月1日除籍 川崎造船所で建造
呂号第2 大正9年4月20日竣工 昭和7年4月1日除籍 川崎造船所で建造
F2型(呂3型)
呂号第3 大正11年7月15日竣工 昭和7年4月1日除籍 川崎造船所で建造
呂号第4 大正11年5月5日竣工 昭和7年4月1日除籍 川崎造船所で建造
呂号第5 大正11年3月9日竣工 昭和7年4月1日除籍 川崎造船所で建造
     大正13年11月1日、呂号第1〜呂号第5と改名。

     要目 F1型(呂1型)新造時の呂号第1を示す。
  基準排水量    水上 689トン、     水中 1,047トン。
  全長       65.58m、 最大幅6.07m、 吃水4.19m。
  機関       フイアット式ディーゼル機関 2基2軸。
  燃料搭載量    重油58.4トン
  出力       水上 2,600馬力、    水中 1,200馬力。
  速力       水上18ノット、     水中 8.2ノット。
  航続距離     水上10ノットで 3.500浬、水中4ノットで75浬。
  安全潜航深度50m。            乗員43名。
  兵装       短7.5cm単装砲(隠顕式)1基
           45cm魚雷発射管2門(艦首) 同2門(艦尾)
           魚雷搭載数8本。

           F2型はF1型の船体に補強を加えただけで主要目は同
           じだが、搭載した国産のフイアット式ディーゼル機関の
           不調により、所期の性能を発揮できず、速力はF1型の
           18ノットを下回る14ノット弱にとどまった。なお竣工時
           機銃1基だったが後に、短8cm高角砲が増設された。

   これまで、外国より購入した各種潜水艦により、設計、建造技術の導入
  更に、操艦、用兵技術の習得に努めてきた。これに併せ、潜水艦関係者の
  協力と、新技術開発をめざしての、努力を重ねた結果、日本海軍特有の潜
  水艦である、海軍式中型、いわゆる「海中型」、海軍式大型「海大型」潜
  水艦などの、日本海軍特有の建造技術を確立したのである。

目次に戻る


  2 条約下での潜水艦建造

  中型潜水艦
  @海中型潜水艦
   第一次大戦後、日本海軍は2回に亘る軍縮会議で米、英に対し大
  きく軍備の制限を受けることになった。大正11年のワシントン条約
  では主力艦の建造に、昭和5年のロンドン条約では潜水艦を含む補
  助艦艇にも過酷な制限を課せられたのである。
   これにより海軍力の劣勢を補うため、決められた保有量の枠の内
  で、より強力で高性能な艦艇を建造しなければならない、こうした
  情勢のもと潜水艦においても例外でなく、日本海軍独自の、新しい
  発想による技術確立に努力していった。
   明治末期より、海外の新型艦を購入しながら技術導入に努めてき
  た我が海軍は、大正4年頃に一応建造技術の確立に至った。これに
  よりローブーフー型の複殻構造の利点を認めた日本海軍ではこれに
  独自の改良を加え、独力による設計で大正6年4月25日、呉工廠で
  2隻の潜水艦が起工された。これが海軍中型、所謂「海中型」と呼
  ばれる潜水艦である。その後も海中型は逐次改良を加えられ、「海中
  2、3、4型」と「特中型」が続いて建造されて昭和2年までに22隻の中
  型潜水艦が整備された。
   これらの海中型は、昭和初期の海軍にあって沿岸用の中堅潜水艦
  として任務に従事し、更に特中型に於いては太平洋戦争中も訓練用
  潜水艦に使用された。
  「海中型」では列国にさきがけ水上高速航行を狙い、一貫してスイス
  製ズルザー式ディーゼル機関を採用し速力の増大を図っていた。

  「海中1型」2隻は、大正5年度計画で建造され、大正8年に2隻
  揃って竣工した。「海中1型」ではズルザー式2号ディーゼルを搭
  載し公試運転で、当時としては最優速の19ノットの高速を記録した。
   しかし、此の海中型は艦型が改造されるに従い排水量が増加し、
  それに対して機関の出力増加が伴わず、速力は次第に減少し「海中
  4型」では16ノットまでに低下してしまった。
   又このズルザー式ディーゼル機関は故障などが多く長期の運転で
  は安定性に欠ける難点があった。
   兵装は、「海中1型」で隠顕式であった備砲短8cm単装高角砲を
  海中2、3、型では艦橋後部に、4型では艦橋の前方に固定装備され、
  発射管は、艦首4門上部2門であるが、1型で旋回式であった上部
  発射管は2型で再度の改良後、装備位置を1段下げ固定式に改めら
  れ3型に継続された、4型に於いては上部発射管を廃止したが艦首
  の4門は53cm発射管に換装され、雷撃時の威力は一層強力なものに
  なった。
   海中4型で採用の53cm魚雷発射管は英国潜水艦L3型と同じ時期
  で、多分にL型の影響を受けたものである。
   このように「海中型」は、在来型潜水艦に比べ攻撃力が増強され、
  艦隊型潜水艦の先駆けと経った艦型である。

  「海中2型」は大正6年度計画で3隻建造されたが、1型の竣工前
  に着工されていたため、その就役中の使用実績などが加味されるこ
  とがなく、艦橋の大型化と上部構造物に多少の改造がなされたほど
  でさしたる発展は無かった。しかし2型以後の型からは燃料塔載量
  を増やし航続距離を海中1型より50%増大させた。
  「海中3型」は大正6年度計画で6隻、7年度計画で4隻が建造さ
  れた。従来の造船所以外に横須賀、佐世保工廠でも着工されたが、
  これは当時進められていた、ズルザー式ディーゼルの国内生産及び
  諸装置の国産化等と同時に、国内における潜水艦建造の技術が一定
  水準で普及されていた事による。

   又「海中3型」が10隻も大量に建造されたことは、「海中型」の
  実用性がこの頃には、安全潜航深度の増大に加え、安定して来た事
  を示している。しかし艦隊随伴用潜水艦として必要な凌波性、航洋
  性と速力の増大など、用兵側の要求に答えるにはまだ多くの課題を
  抱えていた。
   大正7年度計画で建造中のうち、あまり工事の進んでいなかった
  「海中3型」3隻は、海中1〜3型での使用実績による設計変更が加
  えられ「海中4型」として竣工した。

   この4型は、艦舷と予備浮力を増大し、航洋性の改善を図ると共
  に艦橋の大型化と水上発射管の廃止により艦容は一段と近代化され、
  又潜舵、横舵の強化で運動性にも余裕が出来、従来の「海中型」に
  比べ実用性は飛躍的進歩を遂げた。
   しかし本艦型に於いても速力の増加は出来ず、中型潜水艦の限界
  を感じた日本海軍は、これにより大型潜水艦の建造に向け研究を進
  めていくのである。

   大正年間、日本独自の技術開発を目指し建造されてきた中型潜水
  艦は、世界の水準に達しつつあった。しかし、昭和5年のロンドン
  軍縮会議により、潜水艦の保有量までが制限される事になり、之の
  対応策として、個艦の性能向上と、戦時における急速建造に適した
  量産型の試験艦を建造しその資料を確保しようとした。
   此れにより昭和6年度計画で、2隻の中型潜水艦が、15年振りに
  建造される事になり、昭和8年8月、1番艦が呉工廠、続いて9年
  には2番艦が三菱神戸造船所で起工され、夫れぞれ昭和10年10月と
  12年5月に竣工した。
   これが「海中5型」呂号33型と呼称さる呂号第33、34潜水艦である、
  尚本型を「海中6型」とする向きもあるが、海軍公式記録では「海中
  5型」としている。

   海中5型の建造当時には、海中4型の頃よりも造機、造船技術の
  著しい進歩により、中型艦でも隻数を整備することで相当の戦力と
  なり得るはずであった。しかし、量産型と位置付けしながらも、海
  大型の補助的戦力として行動できるようにとの要望は、急速建造と
  設計上、相反する難問であった。
   この建造には実験的要素を多く含み、予め図面や材料を準備し、
  製造工程及び艤装品の統制など戦時急造を想定し慎重に決定された。
   戦時急増の量産型としながらも、懸念された耐波性と凌波性の向
  上を図り又艦橋の高さを大型潜水艦と同じ高さに引き上げ、水上で
  の監視能力を同等のものにするなど、大型艦の性能に近ずける努力
  が払われた。
   特に注目すべきは既成の中型艦が、建造を重ね改善をするに伴い
  水上速力が低下し、最初の18ノットが16ノットに至ったのに対し本艦型で
  は、日本海軍が開発した艦本式21号複動機関の採用で19ノットを得た
  ことである。
   又航続力の延伸は特中型で成功していたが、其れを更に延長した
  ものになった。
   公試の結果、全ての面で性能が良く満足できるものであった、僅
  か排水量700トンの中型艦として、速力においては世界の水準を超越す
  るものであり又、荒天時の航海実績では、耐波性及び凌波性に於い
  て大型艦に勝る面があり、さらに操縦性能は水上、水中共に既成艦
  中最も良好で、中型艦の発展に驚くべき成果を示した。
   兵装面では、魚雷発射管数4門は少ないと見た用兵者の評もある
  が、当時の列強海軍の其れと比較しても互角であり、艦型から見て
  も相応のものであった。
   本艦型の性能と、ドイツ潜水艦Uボートの活躍を見たとき、此の
  中型艦の発展と建造に大いに力を注ぐべきでなかったか、惜しまれ
  る艦型である。

 海中1型(呂11型)
呂号第11 大正8年7月31日竣工 昭和7年4月1日除籍 呉工廠で建造
呂号第12 大正8年9月18日竣工 昭和7年4月1日除籍 呉工廠で建造
 海中2型(呂13型)
呂号第13 大正9年9月30日竣工 昭和7年4月1日除籍 呉工廠で建造
呂号第14 大正10年2月17日竣工 昭和7年4月1日除籍 呉工廠で建造
呂号第15 大正10年6月30日竣工 昭和7年4月1日除籍 呉工廠で建造
 海中3型(呂16型)
呂号第16 大正11年4月29日竣工 昭和8年9月1日除籍 呉工廠で建造
呂号第17 大正10年10月20日竣工 昭和11年4月1日除籍 呉工廠で建造
呂号第18 大正10年12月15日竣工 昭和11年4月1日除籍 呉工廠で建造
呂号第19 大正11年3月15日竣工 昭和11年4月1日除籍 呉工廠で建造
呂号第20 大正11年2月2日竣工 昭和9年4月1日除籍 横須賀工廠で建造
呂号第21 大正11年2月2日竣工 昭和9年4月1日除籍 横須賀工廠で建造
呂号第22 大正11年10月10日竣工 昭和9年4月1日除籍 横須賀工廠で建造
呂号第23 大正12年4月28日竣工 昭和10年4月1日除籍 横須賀工廠で建造
呂号第24 大正9年11月30日竣工 昭和10年4月1日除籍 佐世保工廠で建造
呂号第25 大正10年10月25日竣工 昭和11年4月1日除籍 佐世保工廠で建造
 海中4型(呂型)
呂号第26 大正12年1月25日竣工 昭和15年4月1日除籍 佐世保工廠で建造
呂号大27 大正13年7月31日竣工 昭和15年4月1日除籍 横須賀工廠で建造
呂号第28 大正12年11月30日竣工 昭和15年4月1日除籍 佐世保工廠で建造
     大正13年11月1日、二等潜水艦の総称より呂号の冠称を付加し、呂
     号第11〜呂号第28と改名。 
     大正13年3月19日、呂号第25(当時、第43潜水艦)は佐世保港外で
     訓練中軽巡洋艦「龍田」と衝突し沈没したが、後に引き揚げ再就役
     した。

  要目     海中1型(呂号第11型の新造時を示す。)
  基準排水量  水上 720トン、      水中 1,030トン。
  全長     69.19m、 最大幅 6.35m、吃水 3.43m。
  機関     ズルザー式2号ディーゼル機関2基、2軸。
  燃料搭載量  重油60トン。
  出力     水上 2,600馬力、     水中 1,200馬力。
  速力     水上18ノット、        水中9ノット。
  航続距離   水上10ノットで 4,000浬、 水中 4ノットで85浬。
  安全潜航深度 30m。          乗員 46名。
  兵装     短8cm短装高角砲(隠顕式)1門。
         45cm魚雷発射管 (艦首) 4門、(水上旋回式)2門。
         魚雷搭載数 10本。

         海中2、3型は排水量の増化により速力が16.5ノットに低下
         したが、主要寸法や性能に大きな変化は無い。

  要目     海中4型(呂号第26の新造時を示す)
  基準排水量  水上 750トン、     水中 1,080トン。
  全長     74.22m、最大幅6.12m、吃水3.73m。
  機関     ズルザー式2号ディーゼル機関 2基2軸。
  燃料搭載量  重油75トン。
  出力     水上 2,600馬力、    水中 1,200馬力。
  速力     水上16ノット、      水中8ノット。
  航続距離   水上10ノットで6,000浬、水中4ノットで85浬。
  安全潜航深度 46m。 乗員 46名。
  兵装     短8cm単装高角砲1門、 6.5mm単装機銃1門。
         53cm魚雷発射管4門(艦首)魚雷搭載数8本。

 海中5型型 (呂33型)
伊号弟33 昭和10年10月7日竣工 昭和17年10月5日除籍 呉工廠で建造
伊号弟34 昭和12年5月31日竣工 昭和18年9月15日除籍 三菱神戸造船所

  要目     海中5型(呂33型)の新造時を示す。
  基準排水量  水上 700トン、     水中 1,200トン。
  全長     73.00m、最大幅  6.70m吃水  3.25m。
  機関     艦本式21号8型ディーゼル機関 2基2軸。
  出力     水上 3,000馬力、    水中 1,200馬力。
  燃料塔載量  重油 108.7トン。
  速力     水上 19.0ノット、     水中 8.2ノット。
  安全潜航深度 75m。         乗員 61名。
  航続距離   水上 12ノットで8,000浬、水中3.0ノットで90浬
  兵装     40口径8cm単装砲1門、  13mm単装機銃1基、
         53cm魚雷発射管(艦首)   4門 (艦尾)なし
           魚雷搭載数 10本。
  射出基    なし  搭載機 なし
  


  A特中型潜水艦
   「特中型」は海中3型と同年度に計画され、大正12年9月に一番艦
  続いて大正13年にかけて3隻、計4隻竣工した中型潜水艦である。
   特中型は、海中4型と同じく53cm発射管を装備し、備砲は40口径
  12cm単装砲にした事により兵装強化型の艦船攻撃用潜水艦と見られ
  るが、速力向上に努めてきた従来型に反し、小型機関の搭載により
  出力を半減し、これにより生じた余積に燃料を増載し航続距離の増
  大を図った事から考え、長距離偵察を目的とした巡潜の先駆的艦型
  であろう感が強い。
   なを本艦型が就役した年度より、ハワイ方面の港湾偵察や哨戒を
  目的とした訓練が潜水艦隊で始められた事も興味深い史実である。
   大正年間、日本独自の技術開発を目指し建造されてきた中型潜水
  艦は、世界の水準に達しつつあった。しかし、昭和5年のロンドン
  軍縮会議により、潜水艦の保有量までが制限される事になり、之の
  対応策として、個艦の性能向上と、戦時における急速建造に適した
  量産型の試験艦を建造しその資料を確保しようとした。
   此れにより昭和6年度計画で、2隻の中型潜水艦が、15年振りに
  建造される事になり、昭和8年8月、1番艦が呉工廠、続いて9年
  には2番艦が三菱神戸造船所で起工され、夫れぞれ昭和10年10月と
  12年5月に竣工した。
   これが「海中5型」呂号33型と呼称さる呂号第33、34潜水艦である、
  尚本型を「海中6型」とする向きもあるが、海軍公式記録では「海中
  5型」としている。
   海中5型の建造当時には、海中4型の頃よりも造機、造船技術の
  著しい進歩により、中型艦でも隻数を整備することで相当の戦力と
  なり得るはずであった。しかし、量産型と位置付けしながらも、海
  大型の補助的戦力として行動できるようにとの要望は、急速建造と
  設計上、相反する難問であった。
   この建造には実験的要素を多く含み、予め図面や材料を準備し、
  製造工程及び艤装品の統制など戦時急造を想定し慎重に決定された。
   戦時急増の量産型としながらも、懸念された耐波性と凌波性の向
  上を図り又艦橋の高さを大型潜水艦と同じ高さに引き上げ、水上で
  の監視能力を同等のものにするなど、大型艦の性能に近ずける努力
  が払われた。
   特に注目すべきは既成の中型艦が、建造を重ね改善をするに伴い
  水上速力が低下し、最初の18ノットが16ノットに至ったのに対し本艦型で
  は、日本海軍が開発した艦本式21号複動機関の採用で19ノットを得た
  ことである。
   又航続力の延伸は特中型で成功していたが、其れを更に延長した
  ものになった。
   公試の結果、全ての面で性能が良く満足できるものであった、僅
  か排水量700トンの中型艦として、速力においては世界の水準を超越す
  るものであり又、荒天時の航海実績では、耐波性及び凌波性に於い
  て大型艦に勝る面があり、さらに操縦性能は水上、水中共に既成艦
  中最も良好で、中型艦の発展に驚くべき成果を示した。
   兵装面では、魚雷発射管数4門は少ないと見た用兵者の評もある
  が、当時の列強海軍の其れと比較しても互角であり、艦型から見て
  も相応のものであった。
   本艦型の性能と、ドイツ潜水艦Uボートの活躍を見たとき、此の
  中型艦の発展と建造に大いに力を注ぐべきでなかったか、惜しまれ
  る艦型である。

    特中型(呂29型)
呂号第29 大正12年9月15日竣工 昭和11年4月1日除籍 川崎造船所で建造
呂号第30 大正13年4月29日竣工 昭和17年4月1日除籍 川崎造船所で建造
呂号第31 昭和2年5月10日竣工 昭和20年5月25日除籍 川崎造船所で建造
呂号第32 大正13年5月31日竣工 昭和17年4月1日除籍 川崎造船所で建造

     大正13年11月1日、 呂号第29、 30、 32と改名。
     大正12年8月21日第70潜水艦、 淡路島假屋沖で公試運転中事故のた
     め沈没、同年10月18日、浮上後一度解体の上、大正13年12月20日、
     再起工、昭和2年5月10日竣工、呂号第31と命名。

  要目     特中型(呂号第29の新造時を示す)<
  基準排水量  水上 665トン、     水中 886トン。
  全長     74.22m、最大幅 6.12m、吃水 3.73m。
  機関     ズルザー式1号ディーゼル機関 2基2軸。
  燃料搭載量  重油 143トン。
  出力     水上 1,200馬力、    水中 1,200馬力。
  航続距離   水上10ノットで 9,000浬、水中4ノットで85浬。
  安全潜航深度 46m。         乗員 44名。
  兵装     40口径12cm単装砲1門、6.5mm単装機銃1門
           53cm魚雷発射管4門(艦首)魚雷搭載数8本。
                               
目次に戻る


  
次ページに進む
   
[PR]寝てても痩せる秘密:なぜ苦労せず痩せるのか?