日本潜水艦史

第三章 潜水艦の戦い


   5 「回天」特攻作戦

   「回天」の戦い

    @特攻兵器「回天」とは
     19年2月、他の特攻兵器より先駆けて、試作設計に着手していた
    秘匿名「丸六金物」と呼ばれる人間魚雷は、マリアナ沖海戦敗退後
    の19年7月に完成したが、その試作兵器には搭乗員脱出装置が設け
    られていなかった。その経緯には技術的難点も有ったろう、又量産
    を促進する為もあっただろう。だが、それよりも尚大きかったのは
    搭乗員による強い要望がはたらいていた事である。
     脱出装置無用を望む搭乗員が、成す要因とは「敵地に深く潜入し
    突撃前に敵前洋上での脱出は、捕虜になるか、溺死を意味する。」
   「生きて虜囚の辱しめを受けず」の軍人精神に生きんとする、特攻の
    若者たちは、さらに、脱出を意するは、精神的に憶することであり
    的確な命中を望めない。どうせ逝くなら「回天」もろ共、散華する
    と文字通り「特攻精神」一途に支配されていた。
     回天発案の憂国の士、黒木博司大尉は
         「人など誰か かりそめに
          命捨てんと 望まんや
          小塚原に散る露は
          止むに已まれぬ大和魂」と謳っている。


     当初、一割の生還を期した、軍令部の案も消えうせて、正真正銘
   「十死零生」の必殺兵器となった。ここで驚くべき事が起きた、特攻
    隊員を募ったときである、夢もあろう、将来も、あらゆる可能性を
    秘めた若人達が、我先にと群がったのである。死をも恐れぬ憂国の
    士は、選に叶い「有り難う」と礼を言い、選に漏れたものは悔し涙
    に暮れた。此の生還零の特攻兵器「人間魚雷」に志願者は後を断つ
    事無く続いた。
     19年9月はじめ、徳山湾大津島に回天基地が設営され、早々に訓
    練が開始された。徳山湾にのぞむ大津島の沖では、連日のように、
    潜航訓練中の回天と伴走する、高速艇がかもし出す幾条もの白線が
    訓練の激しさを物語っていた。ところが、19年9月6日、訓練を始
    めてまだ2日と経たない夕刻、「回天」の創始者黒木大尉は同乗の
    樋口孝大尉と訓練中に海底に突入、無念にも殉職を遂げてしまった。
     初期の回天には、速度計が装備されておらず、機器の操作による
    感での走行訓練が続けられていたのだ。速度や転舵地点の異常に気
    づけば洋上を伴走する追躡艇が、発音弾を投下危険を知らせるのだ
    が、その投弾時期が大事故への関連を左右するのだ。まだ回天には
    改良すべき点が多かった。
     此の事故の衝撃は、同じ訓練をする隊員達に大きな衝撃を与えた、
    しかし、黒木大尉搭乗の艇内から発見された遺書は、読む隊員達の
    心を打たずにはおかず「黒木に続け」と、仁科中尉を先頭に憂国の
    士達はこれまで以上、厳しい訓練に励んだ。
     艇内に閉じ込められ、死を目前にした数時間の間に、淡々と書き
    綴られた2千字にも及ぶ遺書には、唯、悠久の大義に生きんとする
    信念一筋に燃やす心情と、志し途次にして死する無念の辞が記され
    最後に、辞世の句で終わっていた。

           男子やも 我が事ならず朽ちぬとも
         留め置かまし 大和魂
         国を思い死ぬに死なれぬ益良雄が
         友々よびつ死してゆくらん

     その後も、実戦さながらの猛訓練を続けるうち出撃を待たずして、
    宮沢一信、矢崎美仁、坂本宣道、楢原武男、十川一、和田稔
    入江雷太、坂本豊治、小林好久、松尾秀輔、三好守、山本孟
    北村鉄郎、中島健太郎、橋口寛、15名の憂国の士が職に殉じている。
     それでは、若人達が命を賭して、戦った必殺兵器「回天」とは、
    如何なる兵器であったのか。
    「丸六金物」の呼称で開発された特攻兵器「回天1型」は、動力に
    93式改3型酸素魚雷を、殆どそのまま用い、之れに操縦装置を内蔵
    する外筒で覆い、特眼鏡を施して人間の操縦により必中を期すると
    言う完璧な人間魚雷で、頭部に充填した 1,500kgの炸薬は、敵艦を
    瞬時に撃沈する強力な水中特攻兵器である。
     潜航、浮上はもとより、深度、変針、変速自在で。調定する事で
    これらを自動的に保ち、1メートルまで収縮自在な露頂索敵用潜望
    鏡(特眼鏡)で目標補足、30ノット以上で突進可能な小型潜水艦とも
    言える精巧なものであった。
     終戦までに、3型式が造られたが実戦に投入されたのは1型のみ
    である、その詳細は
人間魚雷「回天」の項を参照。

       ここに一型と二型の比較要目標を記す。
          「回天」1型 2型要目表
           1型          2型
    全重量  8.3トン       18.4トン
    全 長 14.75m       16.50m
    直 径  1.00m        1.35m
    機 関 魚雷用機関 1基、1軸  6号機械 1基、1軸
    燃 料 酸素196リットル    過酸化水素 水化ヒドラジン
    速 力 30ノット(水中)     40ノット(水中)
    航続力 30ノットで12.4浬  40ノットで13.5浬
        12ノットで43.3浬  20ノットで46.1浬 
    炸薬量  1,550kg       1,500kg
    乗員数  1名           2名

     わが潜水艦が、敵の電探や進歩した対潜兵器に阻まれて、戦闘力
    に深刻な制限を受けていた、昭和19年末以来、独り回天のみは能く
    敵艦めがけ戦いを挑んでいった。

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    A「回天」戦の全貌

     昭和19年10月、連合艦隊総力を挙げての「捷一号作戦」も、第一
    機動部隊の全滅、栗田艦隊のレイテ湾を目前にしての反転により、
    確した戦果も無いまま敗退に終わった。しかし、この作戦に於いて
    レイテ突入部隊を支援するため、世界戦争史上にその名を残すこと
    になった「特攻」、いわゆる「神風特別攻撃隊」が投入されたので
    あった。
     それ以後、日々増強して進攻して来る連合軍に、完全に制圧され
    作戦の自由を奪われた連合艦隊は、戦いを挑める最後の手段として
   「特攻」生みの親、大西瀧治郎中将の云う処の「これはもう作戦では
    ない、作戦の域を超えた、統率の外道だ」が、続いて行われ、作戦
    即ち特攻と言われるまでになり、以後、前進基地では、爆弾を抱い
    た特攻機が、通常作戦の如く、連日のように平然と飛び立って行っ
    たのである。
     航空部隊の特攻作戦に鑑み、第6艦隊(潜水艦隊)も特攻「回天」
    戦を以て、敵の進攻をくい止めんと、10月下旬、呉在泊の旗艦筑紫
    丸で作戦の打ち合わせが行われた。潜水艦隊の作戦計画は、西カロ
    リン諸島パラオ付近に集結中の米機動部隊を襲撃、これを覆滅せん
    とするものであった。
     この第一次「回天」特攻作戦を玄作戦、出撃隊は菊水隊と命名さ
    れ、回天特別攻撃隊が編成された。回天戦の初陣、菊水隊の3隻は
    伊号第36、47潜水艦がウルシー環礁に、伊号第37潜水艦はパラオの
    コッソル水道への奇襲が企図された。
     昭和19年11月8日、菊水隊は基地大津島を出撃、11月20日攻撃地
    ウルシー環礁で回天戦を敢行、米艦艇を恐怖の底に落とし込んだ、
    以後、戦局厳しい洋上に向い、金剛隊、千早隊、神武隊、沖縄戦の
    多々良隊と出撃して行った。
     昭和20年4月、沖縄に向かった連合艦隊も、最後の洋上特攻であ
    る「大和」沈没で、事実上壊滅状態に陥り、いま、戦っているのは
    航空特攻と10隻足らずの潜水艦だけであった。第6艦隊司令部は、
    警戒厳重な泊地、或は、集結する艦隊への突入を続けるなら、残り
    少ない潜水艦は全滅するであろう事を連合艦隊司令部に訴え、今後
    の作戦は、潜水艦に洋上での自由を与える事を要請し、4月下旬に
    漸く、洋上での使用が許された。
     洋上での回天特攻は「天武隊」と命名、伊号第36、47潜水艦2隻
    が各作戦海域で多大なる戦果を上げ、2隻共無事帰還した。これに
    より回天の使用は、第6艦隊の作戦計画に基づき、振武隊、轟隊、
    最後の回天特別攻撃隊、多聞隊と編成され、広い洋上で自由に行動、
    終戦までに、獅子奮迅の活躍をした。
     特に終戦迄の一ヶ月の戦いは、残された戦力僅か6隻を以て勇戦
    米軍に戦慄的脅威を与えた、中でも原爆搭載艦と云われる重巡洋艦
    インディアナポリスを撃沈した、伊号第58潜水艦の功績は、特筆に
    値する。
     人間魚雷が現実に活躍し、史上に残る戦果を挙げたのは、日本海
    軍の回天特攻だけであり、文字通り必死必殺のこの兵器は、昭和20
    年8月15日の終戦迄戦い続け、神風特攻機ともに、連合軍から想像
    に絶するほどの恐怖感を与えていた。当時、艦上にいたシャーマン
    提督は「われわれは終日、火薬箱に座っているようだった」述懐し
    ている事からも計り知る事が出来る。


    ◎ 菊水隊 昭和19年11月20日、伊号第36.47潜水艦はウルシー環
     礁に接近、伊47潜は「回天」4基を発進、36潜は回天の故障により
     1基だけの発進に止まったが、給油艦ミシシネワ、戦艦ペンシル
     ヴァニアを撃沈する戦果を挙げた。
      しかし、パラオ島、コッソル水道に向かった伊号第37潜水艦は
     突入前に沈められ、回天搭乗員も共に散華した。

    ◎ 金剛隊 昭和20年1月12日、伊号第56潜水艦アドミラルティ
     伊47潜ホーランディヤ、伊36潜ウルシー、伊53 コッソル水道、
     伊58潜グァム島アブラ港を攻撃、昭和20年1月20日には伊48潜が
     ウルシーに突入、計19基の回天が発進したが戦果不明のまま伊号
     第48潜水艦が未帰還となった。

    ◎ 千早隊 昭和20年2月下旬、硫黄島に来攻する米攻略部隊に、
     伊号第368、370、44潜水艦の3隻が出撃、伊号第368、370潜水艦
     が突入したが戦果不明のまま未帰還。

    ◎ 神武隊 硫黄島に向け、伊号第36、58潜水艦が出撃したが、
     作戦変更のため途中より帰還。

    ◎ 白龍隊 昭和20年3月、沖縄戦に備え、第18号輸送艦で沖縄局
     地防衛隊の回天八基を輸送中、敵潜水艦の雷撃を受け沈没。搭乗
     員9名も運命を共にした。

    ◎ 多々良隊 昭和20年3月下旬、沖縄に来攻する米艦船攻撃のた
     め日本海軍の全戦力を投入、水上特攻第2艦隊も出撃し、これに
     応呼し回天特攻の伊号第44、47、56、58潜水艦の4隻が沖縄出撃
     伊47潜は途中敵の攻撃を受け損傷、回天戦不可として帰途につく
     伊44、56潜の2隻は突入して未帰還となった。

    ◎ 天武隊 昭和20年4月下旬、此れ迄の局地突入から、洋上での
     使用を主張する第6艦隊の要請により、漸く伊号第36、47潜水艦
     の2隻を、予想される交通線での攻撃使用が許された。伊36潜は
     沖縄とサイパンを結ぶ線上に、伊47潜は沖縄とウルシーの線上で
     行動。伊36潜は4月27日、回天戦を以て敵大船団攻撃、伊47潜も
     5月初旬、回天戦で共に大戦果を挙げ無事帰還した。併し、この
     攻撃で8基の回天が敵艦に突入、散華した。

    ◎ 振武隊 伊号第 367潜水艦 ◎ 轟隊の伊号第 367、361、363
     36、165潜水艦は、天武隊の戦果により潜水艦隊の作戦は、連合艦
     隊司令部を離れて、第6艦隊の自主的作戦に委ねられた。
      5月から6月にかけ、それぞれの要衝を結ぶ洋上に敵艦を求め
     出撃、潜水艦本来の目的である航行艦襲撃で大いに活躍した。
      この作戦で伊号第361、165潜水艦が未帰還となった。

    ◎ 多聞隊 7月から終戦までに伊号第36、53、58、363、366
      367 潜水艦の6隻を太平洋に放ち、一ト月足らずの間に敵艦船
      十数隻撃沈、わが潜水艦の喪失皆無という戦果を挙げた。
       広い洋上での作戦は、緊急時のみに回天を使用、通常の攻撃
      には、従来の魚雷攻撃で戦う事が多く、同時にわが方の損失を
      最小限にして大きな効果を挙げることが出来た。
       中でも、伊号第58潜水艦の重巡インディアナポリスの撃沈は
      日本海軍潜水艦部隊最後の功績として記憶に止どめ置きたい。
       (伊58潜のインディアナポリス撃沈の詳細は、次項で)


     回天特別攻撃隊、菊水隊から多聞隊まで一連の作戦で回天搭乗員
    89名が“悠久の大義に”殉じ、又出撃を待たずして訓練中に15名、
    自決2名が現世に心を残しつつ散って逝った。
     回天特攻出撃による犠牲は、搭乗員だけでは終わらず、回天搭載
    艦として出撃し、未帰還となった潜水艦8隻の乗組員の犠牲は 845
    名に及び、又回天の整備員35名も、その艦と共に散華していった。

     以下、回天搭乗員と整備員として艦と共に散った英霊の御名記載

    菊水隊      回天搭乗員
     伊号第47潜水艦 仁科関夫中尉 福田斉中尉 佐藤章少尉
             渡辺幸三少尉
     伊号第36潜水艦 今西太一少尉
     伊号第37潜水艦 上別府宣紀大尉 村上克巴中尉
               宇都宮秀一少尉 近藤和彦少尉 
             整備員
             栗本晃 時田久美 前原酉 土井完治

    金剛隊      回天搭乗員
     伊号第47潜水艦 川久保輝夫中尉 原敦郎中尉 村松実上曹
             佐藤勝美二曹
     伊号第53潜水艦 久住宏中尉 伊藤修少尉 有森文吉上曹
        伊号第58潜水艦 石川誠三中尉 工藤義彦中尉 森稔二飛曹
             三枝直二飛曹
     伊号第48潜水艦 豊住和寿中尉 吉本健太郎中尉 塚本太郎少尉
             井芹勝見一曹
     伊号第36潜水艦 加賀谷武 都所静世 本井文哉 福本百合満
             整備員
             荒井貞雄、川津芳吉、泰隆造、松尾正男

    千早隊       回天搭乗員
     伊号第 368潜水艦 川崎順二中尉 石田敏雄少尉 難波進少尉
              磯辺武男二飛曹 芝崎昭七二飛曹 
     伊号第 370潜水艦 岡山至 市川尊継 田中二郎 浦佐登一
              熊田孝一
              整備員
              菅原今朝松、関儀政、岩崎繁行、寺西亮
              森正夫、黒川文男、浜本安雄、重松正市
              亀田武男、荒木七五三一
    白龍隊 
     第18号輸送艦で沖縄防衛隊の回天八基、輸送中沈没。
              河合不死男中尉 堀田耕之祐少尉 
              樽井辰雄兵曹長 河田直好機曹長 
              猪熊房蔵二曹 赤近忠三二飛曹
              伊藤祐之二曹 田中金之助二曹 
              新野守夫二曹

    多々良隊     回天搭乗員
     伊号第44潜水艦 土井秀夫中尉 亥角泰彦少尉 館脇孝治少尉
             菅原彦五二飛曹
     伊号第56潜水艦 福島誠二中尉 八代清少尉 八木寛二飛曹
             川浪由勝二飛曹 石直新五郎二飛曹 
             宮崎和夫二飛曹
             整備員
             桑原竹二、沢井滝夫、伊藤二三男、谷村昌寿
             物部信一郎、野口藤太郎、赤星敏夫、西山隆
             遠坂末喜、熊野義隆

    天武隊      回天搭乗員
     伊号第47潜水艦 柿崎実中尉 前田肇中尉 古川七郎上曹
             山口重雄一曹
     伊号第36潜水艦 八木悌二中尉 阿部英雄二曹 松田光雄二曹
               海老原清三郎二曹

    振武隊       回天搭乗員
     伊号第 367潜水艦 小野正明二飛曹 千葉三郎一飛曹
    轟隊   
     伊号第 36潜水艦 池淵信夫中尉 柳谷秀正一飛曹 久家稔少尉
     伊号第 361潜水艦 小林富三雄中尉 金井行雄一飛曹 
              岩崎静也一飛曹 斎藤達雄一飛曹 
              田辺普一飛曹 
     伊号第 165潜水艦 水知創一少尉 北村一二郎一飛曹
              整備員
              阿部福平、高沢喜一郎、坂本茂、藤原昇
              釜野義則、梅下政男、恵美須忠吉
    多聞隊      回天搭乗員
     伊号第58潜水艦 伴修二中尉 中井昭少尉 小森一之一飛曹

             勝山淳、関豊興、川尻勉、荒川正弘、水井淑夫
             林義明、佐野元、成瀬謙治、上西徳英


             上記載の英霊に謹んで哀悼の意を表します

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    B「回天」発進せり


  昭和19年11月8日、大津島の回天基
 地を3隻の潜水艦が静かに離れようと
 していた、各潜水艦の甲板には4基ず
 つ木製のバンドで固縛された回天が搭
 載され、その上では見送りの「帽をふ
 れ」に、抜刀した軍刀を振って返礼す
 る、回天搭乗員の姿があった。
 振られる太刀に夕日を煌かせ、その姿
 も夕やみ迫る周防灘に吸い込まれるか
 光基地を出撃する回天特攻千早隊   のように消えていった。
      去る10月下旬、回天特攻第一次作戦が発動され、伊号第36、37
     47潜水艦の3隻で編成、名も菊水隊と命名された。「回天特攻」
     の初陣、一隻4人ずつ計12名の回天搭乗員の全ては、それぞれ、
     兵学校、機関学校、予備学生出身の士官であった。それは、海軍
     伝統の指揮官先頭の精神に則ったものであった。
      潜水艦の沈没は、乗組員の全てが艦と運命を共にすることが多
     く、戦闘記録などもほとんど残らない、それ故、潜水艦の戦闘記
     録は非常に少ない。併し、回天特攻に4回も出撃、多大な戦果を
     挙げながら戦い続けた伊47潜の艦長、折田善次少佐が戦後、著述
     された、実録「人間魚雷」と米海軍省発表の戦闘史により、その
    「回天」戦の奮闘ぶりを、かいまみることが出来る。
    ◎ 回天特攻菊水隊
      回天特攻の初陣、菊水隊の伊号潜水艦3隻、その一艦、伊47潜
     水艦に乗り込む4名の搭乗員のうち、仁科中尉の胸には、回天の
     完成に辛苦の日々を共にした、黒木大尉の遺骨が抱かれていた。
     この日を待たずに殉職した戦友黒木と、この出撃をも共にしょう
     とするものであった。
      昭和19年11月8日、大津島を出撃した菊水隊の伊36潜と伊47潜
     の2隻は、米補給艦隊が集結するウルシー泊地へ、伊37潜は単艦
     パラオ島のコッソル水道に向け進撃する。出撃後、二日、三日と
     時化が続く、乾舷の低い潜水艦は波浪をもろに被り、回天に傷つ
     けぬよう針路、速力を調整しながら進む。昼間は潜航走行、夜に
     浮上、課電しながらの航行と、回天の整備に時を費やす。
      出撃から1週間、すでに敵の制空権内に侵入した頃、基地航空
     隊の偵察機から、ウルシー泊地には輸送艦とそれらを護衛する艦
     艇など約200隻が集結中の無線を受信。艦内に緊張が走る。
      11月18日、伊47潜は潜航しながら泊地に接近、19日未明、潜望
     鏡深度で敵測、環礁越し直線距離 7,000メートルに大小艦艇多数
     が潜望鏡で観測できた。ウルシー泊地には数個の小島と、環礁と
     が取り囲むように点在する、艦長折田少佐は回天発進の好地点を
     選んで、環礁を避けながら慎重に島を回り込む。
      20日、0030(午前0時30分)「回天戦用意」を下令、伊47潜は静
     かに浮上「搭乗員乗艇」の令に各搭乗員は、見送る乗員と握手を
     交わし各艇へ向かう「頑張ってください」、「有り難う」互いに
     話す言葉も短く、後は沈黙と挙手の敬礼に送られ、開かれた回天
     のハッチから、それぞれの艇内にもぐり込み、計器や操縦装置の
     作動を確認「ハッチ閉めよ」を整備員に命ずる。しかし、整備員
     の手が動かない、余りの緊張感で動けないのだ「閉めよ」、再度
     催促する声で、われに戻った整備員は「閉めます」涙を堪え震え
     る手でハッチを閉じた。
      回天初期の型では、一隻に4基搭載、敵陣近くで敵の目を阻み
     静かに浮上、搭乗員は回天の上部ハッチより乗艇、ハッチを閉鎖
     後潜航、発進の機会を狙うのであるが、後期には6基を搭載する
     潜水艦もあり、乗艇も潜航状態のまま本艦の内部から、回天に通
     じる交通筒を通り、回天の下部ハッチより乗り込めるように改良
     が加えられた。
      ハッチが閉められると、回天と母艦は完全に隔離される、後は
     艦内電話を通し伝えられる艦長の「発進の」命令を待つのである。
     母艦はできるだけ敵艦に近づき、最良の発進点で回天は放され、
     酸素魚雷の動力で突進して行く。2分位の間隔をおき、特眼鏡で
     敵情を観測、約四、五百メートルまで接近した所で、深度四メー
     トルにて突撃針路を決定、全速で突入するのである。
      伊号第47潜水艦、艦長折田少佐の著書「人間魚雷」では、その
     時の状況を次のように表している。
      艦長は、少しでも搭乗員の気持ちを和ませようとするが、言葉
     が出ない、間をおいて、艦長の「会心の突撃を祈る。何か言い残
     す事はないか」の問いかけに。
     「一号艇、仁科中尉 お世話になりました。後続艇を宜しく頼み
     ます」
     「三号艇、佐藤少尉 無事ここまで連れてきていただき、有り難
     うございました。昼間見たあのデッカイ戦艦に命中します。艦長
     以下乗員一同の武運長久を祈ります」
     「四号艇、渡辺少尉 お世話になりました。落ち着いていきます
     からご心配なく。伊47潜万歳」に、艦長も「渡辺少尉万歳」返礼
     を送る。
      二号艇、福田中尉には、艦長の方から「縦舵機の調子はよいか」
     との問いに「ご心配かけました。作動良好です、ご安心を 有り
     難うございました」と、各艇より、ふだんと変わらぬ、淡々とし
     た口調で返事が戻る。
      最後に、「発進用意、よいか」と問う艦長に、各艇より「発進
     用意よし」の返答。「針路 120度」「敵艦距離7,000」「深度30」
     艦長より、敵情が伝えられる。
      0415(午前4時15分)「一号艇発進用意」仁科艇より「発進用意
     よし、後を頼みます」続いて艦長の「一号艇、発進」の令により
    「行きます」の声を残し電話が切断、固縛バンドがはずれ、見事な
     発進ぶりで駛走していった。
      三号艇、二号艇と5分間隔で発進、0430、最後の四号艇が発進
     して行く、電話線が切れる瞬間、搭乗員最後の雄叫びだけがが耳
     を打った、と艦長は書き記している。
      20日、0454(午前4時54分)同じくウルシー襲撃の寮艦伊36潜は
     4基中3基の回天が架台から離脱出来ないなどの障害が起き、三
     号艇、今西太一予備少尉の3号艇だけが発進した。
      一号艇が発進して一時間も経とうとする、0507(午前5時7分)
     大音響が艦に伝わる、続いて、0511にも振動が艦を揺るがした。
      泊地の中央から、真っ赤な火柱2本が闇を裂き空に立ち昇るの
     が遠望できた。「命中だ!」折田艦長は回天2発の命中を確認。
      伊47潜の艦内スピーカーから艦長の声が流れた「艦内の各員に
     告ぐ 伊号第47潜水艦は回天攻撃により、2回の大爆発を確認、
     相当の戦果有りと認む、回天の勇士全員散華して今は無し、我ら
     47潜水艦乗組員は、謹んで回天乗組員の冥福を祈り、此れより、
     帰途につく」と。


      伊36潜と47潜による回天の戦果は、油槽艦「ミシシネワ」を撃
     沈、満載排水量二万三千トンの同艦が満載していた第38機動部隊
     に補給するための重油、ディーゼル油および航空用ガソリンを燃
     やしてしまった。更に最近の調査で、戦艦ペンシルヴァニアをも
     撃沈していたことが判明した。
      あとの2基は、環礁で自爆、1基は護衛艦と空からの攻撃を受
     け沈没したと思われている。
      一方、コッソル水道に向かった菊水隊の伊37潜は、水道西口で
     敵に発見され、敵護衛駆逐艦の攻撃を受けた、回天発進の間もな
     く爆雷が命中し、回天を積んだまま、乗員、整備員共に、悲壮な
     最期を遂げた。
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