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日本潜水艦史

第三章 潜水艦の戦い


   4 特殊任務と特攻作戦

    特殊任務・訪独作戦

   @ 訪独作戦序文
     昭和19春、竣工後まもない伊号第52潜水艦は機密任務を受け3月
    10日広島県呉港を出航した。目的地は同盟国ドイツの占領下に在る
    潜水艦基地ロリアンで、たどり着くにはおよそ三万キロもの深海を
    行く過酷な任務であった。伊号第52潜水艦は豊後水道を出て太平洋
    を南下、昭和19年3月21日当時日本の占領下にあったシンガポール
    に着いた。
     ここで約一月滞在、東南アジアで産出するタングステンや生ゴム
    等大量の物資搭載した。此れを、既に天然資源が枯渇している同盟
    国ドイツに運び、その見返りとして、当時最先端の技術で造られた
    魚雷艇用エンジンMB501 の製造技術を持ち帰るためである。此れが
    伊号第52潜水艦に課せられた任務であった。


     太平洋戦争中同盟国ドイツに向かった、いわゆる訪独作戦は5回
    にわたり実施され、5隻の潜水艦が派遣された。しかし無事目的地
    のロリアン港に入港したのは3隻で、日本本土まで帰還できたのは
    唯一隻だけである。何故此れ程の危険を冒してまでも訪独を続けな
    ければならなかったか、それには日独両国に理由があった。独国は
    枯渇した天然資源の獲得であり、日本側はドイツの新兵器と進んだ
    技術を導入するためである。
     日本の技術陣は開戦まで、欧米の技術を導入同じ水準の技術を身
    につけたと過信していた。しかし、いざ戦争に突入すると、次々と
    現れる新兵器の前に苦戦を強いられた、ガタルカナル島争奪戦での
    夜戦を封じられたレーダであり、大馬力エンジンの小型化に成功し
    高速で暴れ回る魚雷艇の出現であった。日本には未だこのような高
    性能エンジンの技術は無かった、第2回訪独で持ち帰ったダイムラ
    ーベンツ製高速エンジンを目の前にしても、模倣すら出来ない日本
    の技術者達は欧米との技術力の格差を思い知らされた。
     ちょうどこの頃ドイツではロケットエンジン搭載の戦闘機が実戦
    に登場していた、日本海軍は此の最新兵器Me163戦闘機と合わ
    せて、ジエットエンジンBMW003を量産し米国に対抗しょうと
    した。交渉にあたった駐在武官にMe163と魚雷艇エンジンをも
    要求する日本に厳しい条件を突きつけてきた、ドイツで枯渇してい
    た大量の天然資源それに加え巨額な滞貨の要求である。此の要求に
    応じモリブデン、タングステン、錫、生ゴムなどを満載、又独国の
    優れた最新技術を習得するための技術者7名を乗艦させ第5回訪独
    潜水艦、伊号第52潜水艦はシンガポールを出港した。
     こで第一回の訪独から最後の訪独潜水艦となった伊号第52潜水艦
    の航跡を振り返って見よう。

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    A 第一回訪独潜水艦
     昭和17年4月、遠藤忍中佐艦長率いる伊号第30潜水艦は、最初の
    訪独潜水艦として内地を後にした。これまで同盟国独国との連絡は
    は陸路シベリア鉄道が主であったが、独ソ開戦により使用が困難に
    なった。船舶では連合軍の潜水艦による魚雷攻撃にに脅かされるこ
    と大で、隠密行動のとれる潜水艦が同盟国とをつなぐ唯一の手段と
    して選択された。
     伊号第30潜水艦は特殊潜航艇(甲標的)による第二次特別攻撃隊の
    先遣隊としてアフリカ東岸にある英国の要港、ジゴスワレスの偵察
    任務も帯びていた。同艦はインド洋を南下、17年5月マダガスカル
    島東南方洋上で、第一任務の搭載機による飛行偵察を行い、情報発
    信後、愛国丸から最後の補給を受けた伊30潜水艦はアフリカに在る
    英航空基地からの攻撃を警戒、大陸の南端、喜望峰を大きく回り込
    み大西洋に入り、一路北上目的地ロリアン軍港を目指した。
     昭和17年8月中旬、ドイツの占領下にあった海軍基地フランスの
    ロリアン港に無事入港し盛大な歓迎を受け、日独両国間に機密兵器
    の交流や貴重な物資の交換行われた。日本から潜水艦自動懸吊装置
    日本製魚雷の設計図と小型飛行機などを譲り渡し、独国より機関銃
    や対空電探などの新兵器を受け取りロリアン港を後にした。
     同年10月中旬、約2か月3万キロの苦難の航海の末シンガポール
    に到着、補給を受けた伊号30潜水艦は日本に向けシンガポール港を
    出港、無事任務を果たしたかにみえたが、不幸にも出港の際、同港
    外東3カイリの地点で英海軍敷設の機雷に触れ沈没、しかし乗員の
    大部分は救助され、相当量の貴重品も揚収することが出来た。
     内地にこそ帰還できなかったが、伊号第30潜水艦の航海は潜水艦
    による同盟国ドイツとの連絡路を確立し、その後も続けられた両国
    間での機密兵器の交換など、交流の先駆者的意義は大きい。


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    B 伊号第8潜水艦帰還せり

     伊号第8潜水艦は、小型偵察機を搭載、司令部施設を有する旗艦
    型潜水艦で巡潜型最後の艦として昭和13年12月に竣工した。開戦時
    はハワイ、オアフ島西方海面で作戦を指揮、その後ガタルカナル島
    争奪戦を転戦、引き続きソロモン補給輸送作戦に従事、南太平洋で
    大いに活躍していたが、昭和18年5月極秘任務のため内地に帰投。
     伊号第8潜水艦、内野信二艦長に下された命令は、はるばるアフ
    リカ南端を回り大西洋を北上し、ドイツへ重要物資を搬送せよと云
    う重大な任務であった。これは敵制圧下の海をおおよそ往復6万キ
    ロを敵に発見されず航海する、考えただけでも超難事であった。
     昭和18年6月初旬、伊号第8潜は内野艦長指揮のもと 127名の乗
    員と共に第二次訪独艦として呉港を出港。インド洋を横断しアフリ
    カの南端に近づいた同艦は海流の早い南極よりの航路をとり喜望峰
    近くにある英航空基地を牽制し大西洋に入った、この頃大西洋方面
    での連合国の対潜警戒は非常に厳重になり、多くのドイツ潜水艦U
    ボートが沈められていた。慎重な警戒を続けつつ北上いちばん危険
    な海域であるフランス西岸ビスケー湾もくぐり抜け、二ヶ月以上の
    航海の末8月下旬、目的地ロリアン基地に到着した。
     盛大な歓迎を受ける中、日本側からは重油漏洩防止装置、水上偵
    察機、酸素魚雷の設計図など交流物資を引渡し終えた。9月ドイツ
    からの譲渡物件を搭載、整備、補給を受け一路日本を目指し3ヵ月
    の帰途についた。途中、大西洋上の赤道付近で爆撃を受けるなど幾
    度かの危機に遭ったが、其の都度巧みな操艦で此れを切り抜けた。
     昭和18年12月21日、伊号第8潜水艦は内野艦長以下 127名の乗員
    は、往復6万キロにもおよぶ航海の末、無事内地に帰還した。
    ドイツから持ち帰った物品は直ちに呉港で揚陸された。ボールベア
    リング、高速艇図面、電波探知機など56種目の内、ダイムラーベン
    ツ社製魚雷艇用高速エンジンMB-501に海軍は特別の関心を示した。
     三菱工業丸子工場に運びこまれた同エンジンは、解体され精度の
    調査を開始した、結果は到底真似のできない精度の高さに驚かされ
    ると同時に技術の格差を痛感させられた。このことが高速エンジン
    開発で遅れていた海軍に、伊号第52潜水艦による第5次訪独を決定
    させる事になる。
     既に、10月、11月には第3、4次の訪独艦が出港しており、年が
    かわり19年春には第5次訪独艦がドイツに向かったが無念にも内地
    まで帰投できず、都合5隻の訪独潜水艦の内、無事帰国できたのは
    唯一隻、伊号第8潜水艦のみであった。
     昭和18年10月13日、伊号第34潜水艦は訪独任務第3艦として、伊
    号第8潜水艦に遅れること4ヵ月、呉を出港。物資搭載のためシン
    ガポールに寄港、11月11日出港したが13日、ペナン島ムカ岬灯台の
    沖1,800m(マレーシア沖合)で待ち伏せた英潜水艦トウラスの魚雷攻
    撃を受け沈没、85人が犠牲になった。
     昭和18年11月には訪独第4艦として伊号第29潜水艦が呉を出港し
    た。艦長は米空母ワスプを撃沈、操艦、襲撃法では右に出るもの無
    しと謳われた木梨鷹一中佐である。(ガ島争奪A伊号19潜水艦)参照
     同艦はシンガポールに寄港、ドイツに渡すべくタングステン鉱、
    ゴムなどの天然資源を積載した他に駐独武官などの要人20名を乗せ
    12月16日シンガポールを出立、約3ヶ月にもおよぶ苦難の航海に堪
    え忍び、翌年19年3月11日、ロリアンに入港し交流物資の積み下ろ
    しを終え、休養、補給を受けた後、4月16日帰途についた。
     7月14日、90日間の航海の末え無事シンガポールへ入港し、此処
    でドイツから受領したアルミニューム、水銀、ラジューム等の資源
    のほか、Me 163ロケット戦闘機、Me 262ジエット戦闘機の設計図と
    いった重要物資、重要書類の内、機密度の高い航空機の図面等だけ
    は非常時を考慮、航空便に託した。
     7月22日、シンガポールを出港呉に向かった。半年ぶりの日本で
    ある、7月26日午後には比島も過ぎ台湾の南方バーシー海峡を北上
    していた。此処までくると日本の制空権内で目指す内地はもう目の
    前である、気の緩みか!海峡を水上航行する伊号29潜を米潜水艦ソ
    ドーフイッシュが狙っていたのに気が付かなかった。
     米潜の発射した魚雷3本が命中、瞬時にして沈没。艦外に投げ出
    された3名のほか、艦長木梨鷹一中佐以下全乗員が艦と運命を共に
    した。6ヵ月の難航の末、日本を目前にした、北緯20度10分、東経
     121度50分の地点であった。


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    C 最後の訪独潜水艦

     昭和19年4月23日シンガポール出航、予定の航路はインド洋を横
    断大西洋を北上、ロリアン基地まで3万キロの難航海である。伊号
    第52潜水艦は右にスマトラ島左にジャワ島を見ながらスンダ海峡を
    抜けインド洋に乗り出した、此の海域では日本の制海制空権が及ば
    ず、インドに基地をもつイギリス海軍はたびたび日本の艦船を襲っ
    ている、昼間は全て潜航して走行しなければならなかった。
     同艦には艦長小野大佐ほか乗員 118名と通訳1名、技術者7人が
    乗っていた、深夜に空気を入れ替えのため浮上するとき以外は酸素
    の消耗を防ぐため、できるだけ横になりつづけるのが日課になって
    いた。日本出発して2ヶ月半、アフリカ最南端喜望峰の海上に到達
    した、此の付近は英軍の航空基地が幾多も点在している、そこから
    の攻撃を警戒し南極よりに大回りする航路をとり進んだ。
     昭和19年5月20日、喜望峰を周り大西洋にはいった、ここ大西洋
    では、当時ドイツ潜水艦Uボートと連合軍の間で激戦が繰り広げて
    いた、此の年だけでも 245隻のUボートが撃沈されている、危険水
    域に入った潜水艦を守るためにドイツ海軍から提案があった。
    「日本の潜水艦は無事ドイツに到着し任務を完了した」の偽情報を
    発表して潜水艦の位置を撹乱して作戦を成功に導こうとドイツ側が
    提案した戦術である。ベルリンの駐在武官から海軍大臣にあて電文
    が打たれた。しかし、米軍は当時日本軍が発信する暗号通信を傍受
    ハワイなどの基地で解読に成功しており、東京の軍務局とベルリン
    の駐在武官とが交信する暗号電文は全て筒抜けであった。
     既に、シンガポール出港時に積み込んだ交換物資の内容や同地か
    ら乗り込んだ技術者の人数、名前までも知られていたし、此のにせ
    通信も傍受され、計画の全容は知られていた。米軍は日本潜水艦の
    動きに興味を示し伊号第52潜水艦の動きを追い続けていのだ。
     昭和19年6月4日、伊号第52潜水艦は赤道を越え北半球に入って
    きた、対潜哨戒網をかわし目指すロリアン港に向けて北上を続けて
    いた。訪独潜水艦はドイツの駐在武官から発信される短波無線を深
    夜浮上して受信、其の指示により行動していたが、6月8日、到着
    を一月前にして、連合軍のノルマンデー上陸によりロリアン基地の
    孤立化したとの情報が入る。翌9日新しい指令が届いた。
    「6月22日、21時15分にドイツ潜水艦と合流、レーダー逆探知装置
    を受け取れ、位置北緯15度、西経40度」である。伊号第52潜水艦は
    目的の合流地点に向う。
     しかし、米軍は此の情報を解読、速やかに対潜部隊の移動を命じ
    た、派遣された米海軍の航空母艦ボーグはスペインの遥か西の沖合
    から一気に南下、日独両国の潜水艦は品物引き渡しのため必ず姿を
    現すであろう、其の機会に狙いを定めた。
     6月22日、伊号第52潜水艦は合流地点に到着したがドイツ潜水艦
    が見つからない、攻撃を恐れて浮上しないのか、現場到着が遅れて
    いるのか待ち続ける。翌23日20時20分ドイツ潜水艦 U530は海面に
    浮上してきた、ゴムボートを使いレーダ逆探知装置の引渡しを終え
    すぐにも取り付け作業が開始されるはずであった。
     6月23日13時50分、米空母ボーグから発艦したアベンジャー雷撃
    機が襲撃してきた、此れは上手く躱し被害を受けなかった。続いて
    第二波の攻撃が、24日1時から開始された。
     攻撃は米海軍で開発された最新電子兵器、音響探知機ソノブイで
    4方に投下したソノブイが潜水艦のスクリュー音を感知し、それを
    受けた攻撃機が位置を算出、対潜爆弾を投下するものであった。
     此の新兵器の攻撃には、流石の伊号第52潜水艦も耐えることが出
    来なかった。致命的損傷を受けた伊号第52潜水艦は、2回の爆発を
    残しスクリュー音を消した。24日の夜が明け波静かな海面には黒々
    とした大量の重油が浮かび上がり、其の中には潜水艦のものと思わ
    れる多くの漂流物が漂っていた。
     北緯15度16分、西経39度55分、大西洋ビスケー湾の海底5,000mの
    海底に乗員 126名と共に伊号第52潜水艦、今も眠る。

     今回の訪独を以てドイツへの隠密作戦は打ち切られた。

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