ガダルカナル争奪戦
@ 伊号第26潜水艦(乙型伊15潜型)
昭和17年5月、日本軍は南方進攻の最前線ガダルカナル島に飛行場
を設けようとしていた。しかし、日本軍の予想よりはるかに早く米軍
の反撃は始まり、昭和17年8月米海兵第一師団がガダルカナル島に上
陸してきた。それまで、海軍上層部の間でさえ知る人も無かった島、
ソロモン諸島のガダルカナル島(以後、ガ島と省略)をめぐり、日米と
の間で半年にわたる激烈な戦闘の始まりであった。
ガ島争奪の基地を日本軍はラバウル(ニューブリテン島)に拠り、陸
軍の第17軍、海軍航空隊の第11航空艦隊、第8艦隊の司令部を置き、
米軍はニューカレドニア島のヌーメア港に水陸両用部隊、基地航空部
隊、機動部隊の司令部を設けた。
互いの本拠地よりガ島までの距離は600〜700哩と、奇しくも等しく
その間に多くの島があり、両軍共の重要な中継基地としての用をなし
条件は互角だった。唯、日本海軍に不利だったのは航空艦隊の主力、
第3艦隊の根拠地がはるか遠くトラック島に在り、ガ島戦場に進出す
る機動部隊の距離が2倍以上を要したことであった。
(註、日本海軍戦闘海域地図を参照)
最大の課題は米軍守備隊の増強を如何に押さえ、日本軍の奪回部隊
に増援の兵士、武器弾薬を送り込む事で、これと反し米軍側は日本軍
の増援部隊の阻止に全力をあげた。此の無名だったガ島の争奪に日米
海軍は出せる戦力の全てを賭けて戦に挑んだ。
日本海軍の艦艇は、南方最大の根拠地トラック島を出撃、ラバウル
より南下ソロモン群島の戦闘に参加したが、米艦隊はニューヘブリデ
ズ諸島のエスピリッサント島から北上してきた。
此のソロモン海域に米海軍は、サラトガ、ワスプ、ホーネットの正
規空母3隻を行動させて、ガ島に増援部隊を運んでくる日本の輸送船
団や艦艇を叩こうと眼を光らせていた。これに対し日本海軍は、第6
艦隊より第1、第3潜水戦隊、第8艦隊の第7潜水戦隊(後に北方部
隊に転出)から12隻の潜水艦を投入、遠くエスピリッサント、サンク
リストバル、サンタクルーズの方面に派して散開線を引きソロモン群
島南東方を往復する米海軍の艦船を雷撃せんと狙った。
昭和17年8月15日、第1潜水戦隊、第4潜水隊の伊号第26潜水艦は
母港横須賀を出撃、24日以降警戒海域に入り昼間は潜航し夜間に浮上
して蓄電池を充電しながら航行、横須賀を出港し敵艦を求めて早くも
2週間も過ぎた。
8月30日夜半、浮上して充電走航中、15cm大型双眼望遠鏡の見張員
が「前方、明かりらしきもの見ゆ」を報じた、場所から見て味方の艦艇
が居るはずがない、横田稔艦長、下令一声!「両舷停止、潜航急げ」。
敵は空母サラトガを中心に輪型陣を組んだ機動部隊で、ガ島南東方
の哨戒を終り帰投中であった。
註(サラトガは伊号6潜の雷撃で復旧に4カ月を要し、戦線に戻って
3カ月めであった、詳細はハワイ海域と米
西海岸をクリック)
レーダーで探知されていたのか、直に駆逐艦のスクリュー音が近づ
いてきた、伊号26潜はこれを巧みに躱し、深度80mで息を潜めること
3時間、潜望鏡深度まで浮上周りを観察、何も見えない、直さま敵艦
の針路を算出、艦影を求め暗闇の海上を探し回った、日も明けて31日
「いた!」距離2万3千、「魚雷戦用意!」を下令。サンクリストバル
島東方140哩の地点である。
今度は敵に気づかれていない、潜航して好射点距離1,000mまで接近
したい、しかし、機動部隊は常時巡洋艦2、駆逐艦6隻、時には戦艦
も加わり輪型陣を張って空母を護っている、潜水艦の近接攻撃は至難
の業であった。
早く敵の前程に出て護衛する駆逐艦群を潜り抜けなければならない
気は焦るが潜航速力は6ノット、苦心の末、漸く外側の護衛群を抜け
たときには好射点を過ぎており、空母の後方から狙う位置にあり距離
も3,500mで遠かった。だが艦長横田は機を逃さず「魚雷発射 テーッ」
0706(午前7時6分)命令一下、5本の魚雷が発射された。
直ちに潜航最大深度100mまで潜る、暫くして轟音1発「やった!」
敵艦隊を発見から好射点をねらい、苦闘すること数時間、発射管6門
の内1門が故障、さらに斜後からの射撃と悪条件のなか良く1発でも
命中させた。
此の後、護衛駆逐艦による12時間もの爆雷攻撃に曝されたが、良く
これに耐え帰還した。サラトガは船体中央部の右舷の防水隔壁を大破
重巡ミネアポリスに曳航され、戦場を3カ月もの間、離れなければな
らなかった。
その後、11月13日にもガ島東側水道で米軽巡ジュノーを雷撃、撃沈
した。第三次ソロモン海戦(1)
を参照
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A 伊号第19潜水艦(乙型伊15潜型)
昭和17年8月15日、伊号第19潜水艦はガダルカナル島の争奪をめぐ
り、日を追って激化する南太平洋ソロモン海域に向けて横須賀を出撃
した。(註、南太平洋
戦闘海域地図を参照)
伊号19潜は伊号26潜と同じ第一潜水戦隊に所属し、この潜水戦隊は
竣工間もない新鋭の乙型潜水艦で編成されていた。第二潜水隊の伊19
潜は第一潜水戦隊の寮艦と共に母港を出港して、ちょうど一ヶ月後の
9月15日、水中聴音機は敵のスクリュウー音を捕捉した。
1050(午前10時50分)、サンクリストバル島沖で潜航哨戒中の、伊号
第19潜は潜望鏡深度まで浮上、「見えた!」距離1万5000に米機動部隊
を発見したのだ。海水は音の伝播が良く、そうとうの遠距離の音でも
良く伝える、時としてレーダーを装備する米艦艇よりよりも先に察知
することもあった。
この時も、かなりの遠距離であった、この距離ではとうてい魚雷の
命中は望めない、艦長木梨鷹一中佐はじっと機会をうかがった。敵は
空母ワスプを真ん中に、巡洋艦2隻、その外側を数隻の駆逐艦が包み
込むようにしたお決まりの輪型陣である。伊19潜は敵艦隊に向け静か
に接触を始めようとした、その時、どうした事か敵はこちらの方に向
け転舵、近づいて来る。木梨艦長は「総員配置に付け」「魚雷戦用意」
矢継ぎ早に下令。
敵機動部隊は何も知らず、更に近づいて来る。距離 1、500、完全に
射程内に入っている、しかし、艦長は俄然!よりいっそうの接近を命
じた。距離1,300m、1,000m、輪型陣の外郭を守る駆逐艦の船底を見事
すり抜けた。
1145(午前11時45分)「距離 900、速力12ノット」「魚雷発射用意」
「テーッ」一番から6番発射管まで全射線6本の魚雷が空母ワスプを
めがけ発射された。伊19潜は素早く海中深く身を潜ませる、10、20秒
静寂の時が流れる...40秒 カーン鋭い金属音に続いて「ぐぁ〜ん」
爆発音が艦全体を震わせてた。一発、二発、三発、時をおいて四発、
五発、「やった!」6本の魚雷のうち5本命中だ。喜びも束の間、今度
は護衛駆逐艦から猛烈な爆雷攻撃を受ける事になった。敵は慌てて、
目くらめっぽう爆雷を投射している。数えること85発、しかし名艦長
木梨鷹一中佐の巧みな操艦と、武運にも恵まれ微塵の損傷を受ける事
無く危機を切り抜けた。
はじめの3発は空母ワスプの右舷前部に命中、弾薬庫とガソリン庫
を破壊、大火災を起こした。火の手は飛行甲板の航空機に搭載してい
たガソリンや爆弾を誘爆させ、遂に全員退艦、破棄され、米軍自らの
手で処分する事になった。
4本、5本目の魚雷はワスプの艦首方を通り抜け、遥か遠方1万メ
ートル向こうを航行する空母ホーネット隊を護衛する駆逐艦オブライ
エンと戦艦ノースカロライナに命中した。
駆逐艦オブライエンは応急処置の後、帰港の途中船体が折れて沈没、
戦艦ノースカロライナの左舷前部に命中した魚雷は船体に10メートル
の大穴をあけ、被害は前部火薬庫までにおよび、注水して誘爆を避け
た。その後修理のため長期間戦場を離れなければならなかった。
それにしても、流石に日本海軍が世界に誇る酸素魚雷、高速で一万
メートルの長距を突っ走り、見事にその威力を発揮する魚雷など世界
のどこを探しても無いだろう。
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B 伊号第 176潜水艦(海大型伊176潜型)
南太平洋の小島、ガダルカナル島の奪回をめざし、日本陸軍はこれ
までに2回の総攻撃を敢行したが全て失敗に終わった。これに並行し
て海軍も出動、妨害する米艦隊と戦いを繰り広げてきたが、同島に対
する米軍の戦力は日毎に増強されガ島をめぐる争奪戦は長期の様相を
増してきた。
当初、日本軍は同島を占領してきた米軍の兵力を過小評価し、簡単
に撃退できるものと少兵力で戦いを挑んだが失敗、米軍戦力の強力さ
に気づいた時既に遅く、ガ島にはヘンダーソン飛行場が完成、頑強な
守備陣が構築されていたのである。
ガ島をめぐるソロモン水域の戦いは戦力を増強するための輸送戦が
その戦いの勝敗を分けると言っても過言ではなかった。米海軍はニュ
ーヘブリデス諸島エスピリッサント島からガ島へ軍需品を運ぶ船団を
何回となく往復させている。この輸送船団を狙い日本海軍はガ島南方
500 哩前後のサン・クリストバル、サンタ・クルーズ、エスピリッ・
サント諸島を繋ぐ線の周辺と、さらに、敵陣深くニューカレドニア島
方面にまで潜水艦隊を進出させ水雷区域を張った。この区域には常時
日本の潜水艦4隻ないし6隻が潜み、米艦船を待ち受けて居るため、
米軍はトーピドウ・ジャンクション(魚雷交差点)と呼び、危険水域と
して恐れていた。
(註、
日本海軍戦闘海域地図を参照)ここをクリック
昭和17年9月、トラック島の第6艦隊司令部は、先に派遣していた
第一潜水戦隊と交代に第三潜水戦隊に、この海域への進出を命じた。
第三潜水戦隊は海大6型、海大7型と比較的古い型に属する海大型で
編成されていたが、海大7型は海大型の最終型で、新技術の採用と多
くの改良が加えられ、昭和17年8月から翌年10月までに10隻が竣工し
た新鋭艦である。
(註、海大型潜水艦の建造
海大7型の建造を参照)ここをクリック
その中の一艦、第12潜水隊、伊号第 176潜水艦は海大7型の一番艦
で艦長に田辺弥八少佐を迎えた。この艦長こそミッドウェー海戦の時
伊号第 168潜の艦長の任にあり、わが航空部隊の攻撃で傷ついた米空
母ヨークタウンを雷撃、撃沈した人である。
9月18日、伊号第 176潜は母港の呉を出撃、南下を続け6日後には
作戦海面に到達し直ちに索敵哨戒任務についた。まもなく一ヶ月にな
ろうかという10月20日、13度31分S 163度17分Eの地点でエスピリッ
サント島からガ島へ軍需品を運ぶ船団を護衛し北上してきた護衛部隊
と遭遇した。
米船団は駆逐艦が直接護衛するほかに、戦艦、巡洋艦等の大型艦が
同行せず離れた所を航海、日本艦隊が現れたら海戦にもち込もうとす
る間接護衛を用いていた。この時のも、後者の間接護衛を任務とした、
リー少将司令官率いる、戦艦ワシントン、重巡サンフランシスコと同
チェスターほか軽巡2隻、駆逐艦8隻からなる第64任務部隊であった。
リー少将の艦隊は、伊号第 176潜の目前を重巡サンフランシスコを
先頭に、距離1、500mを20ノットの速度で右舷を大きく見せながら通過
しようとしていた。
艦長田辺少佐は急拠「魚雷戦用意」を下令、発射管室より「魚雷発射
用意よし」の返答、先頭のサンフランシスコに標準を合わせたが、時
既に遅れ好射点を逃していた「これでは命中は無理」と判断続く2番
艦チェスターを狙う。「発射よーい」艦長の令に緊張が走る。
「テーッ(射てー)」一斉射6本の魚雷が射ち出された。暫し沈黙が流
れる。1分を過ぎた頃、艦を揺るがす命中音が伝わってきた。
「やったー」「万歳ー」艦内に歓声が上がる。
米重巡チェスターに2発の魚雷が命中、右舷中央部に破口を生じ、
機関室に大量の浸水をみた。その後、チェスターは損傷修理のために
長期間、戦場を離れなければならなかった。
昭和18年、ガ島撤退後もソロモンの戦いは熾烈さを増していった、
11月17日、トラック島南方を哨戒中、浮上航行中の米潜コルビナ号を
発見、魚雷戦を下令、3本発射。2本命中させ撃沈。
米潜水艦に沈められた日本潜水艦は多いが、米潜水艦を撃沈した、
日本潜水艦は伊号第 176潜ただ1隻であろう。
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ソロモン海域の戦い
@ 伊号第11潜水艦(甲型伊9潜型)
第三潜水戦隊の旗艦、伊号第11潜水艦は甲型の3番艦で軍縮条約を
脱退後に日本海軍が排水量などの制限をうけずに自由な立場から計画
された大型潜水艦で、潜水戦隊を指揮するため旗艦設備を備え通信能
力を強化させ、さらに索敵力を向上させるため水上偵察機を搭載した
新鋭艦である。
(註、甲型潜水艦の建造
を参照)ここをクリック
潜水艦に航空機を搭載する試みは、列強海軍国の間で研究されてい
たが全てが実用化できず失敗に終わったが、日本海軍では既に巡潜型
潜水艦で実用化し、つづく乙型潜水艦でも水偵を搭載し偵察や索敵に
大いに活躍した。
昭和17年5月16日に竣工した伊号第11潜水艦は、同年9月第3潜水
戦隊旗艦として南太平洋海域に進出し、第6艦隊(潜水艦隊)の司令部
があるトラック島を基地として、ニューカレドニア島方面での哨戒、
索敵任務に従事、また交通破壊作戦に活躍した。昭和18年2月21日に
は、零式小型水上偵察機を発進させ米軍の基地になってるニューカレ
ドニアのヌーメアを飛行偵察、空母1隻、戦艦2隻などの在泊を報告
したり、これまでにギリシャ船籍の輸送船1隻、米輸送船2隻を撃沈
する等、大いに暴れ回っていた。
昭和18年7月1日、燃料、魚雷、弾薬など戦闘に必要な物資と食料
の補給を受けた伊号第11潜水艦は艦隊司令部のあるトラック島を出撃
哨戒区域の中部ソロモン水域に向かった。18年2月のが島撤退後から
この数カ月には艦艇同士の小競り合いがあったが、大きな戦闘は起こ
らず戦闘は専ら航空戦が主であった。これは次の攻略作戦の準備の為
であったが、又一説では、米海軍には次の攻撃目標とするソロモン諸
島中部、ニュージョージアと周辺諸島の地勢や同海域の詳細な情報を
得ていなかったとも言われている。
しかしその間に連合軍は軍需物資をニューヘブライズ諸島のエスピ
リッサントより輸送し、次の攻撃地点に向け着々と準備を整えていた。
(註、
日本海軍戦闘海域地図を参照)ここをクリック
この動静を監視すべき伊号第11潜水艦は、トラック島の基地を出撃
して20日後、豪海軍の重巡オーストラリアを旗艦とする、米海軍との
混成軍を発見、直ちに「魚雷戦用意」を発令、攻撃態勢につく。夕暮
れ時期だが視界良好、波もない、こんな時は海面に出した潜望鏡が敵
に発見されやすい。早急に魚雷を発射、潜航して身を潜ませる、暫く
して轟音一発、命中!。
旗艦重巡オーストラリアの後方550mに航続していた米軽巡ホバート
の左舷中央部の士官公室に命中大穴を開けた、沈没は免れたが、損傷
を修理し戦線に復帰するまでに1年半を費やした。
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A 伊号第175潜水艦(海大6型b伊174潜型)
伊号第 175潜水艦は海大6型bに属し、軍縮条約の規制の枠ないで
計画された最後の艦型である。海大6型は昭和3年の研究会で1,600t
型13隻が必要とされ計画されたが、ロンドン軍縮条約の結果、1,400t
型6隻に制限され、昭和6年度計画で建造された。この時期航続力に
重点を置き開発を進めていた巡潜型と、高速力を重視した海大型との
性能は接近したものになり、この海大6型においての成績は納得のい
くものであった。昭和9年度でさらに2隻建造されたので、前期型と
後期型に分けて前者を海大6型a、後者を海大6型bと呼んだ。
昭和13年に竣工した本艦は海大6型bの二番艦で、基本的には海大
6型aと同じであるが、各部分に改善が加えられると共に工法にも新
方式の採用又武装においても新式のものに換装され、6型aより一段
と進歩した艦であった。
(註、海大型潜水艦の建造
を参照)ここをクリック
尚、海大型の艦名はは50番代より始まり、伊号51潜、52潜となって
いたが、昭和17年5月20日より、これまでの艦名番号に百桁を加えて
伊号 151潜、 152潜と改名された。
(註、潜水艦の系列
を参照)ここをクリック
開戦時、伊号第 175潜水艦(当時75潜)は第3潜水戦隊に在り、姉妹
艦の伊号74潜と組んで第11潜水隊を編成、真珠湾口の監視配備につき、
早くも12月18日に米船マニニを撃沈した。その後、ミッドウェー海戦
に参加、アリューシャン方面でキスか島に食料などの輸送作戦を経て、
戦場を南太平洋に移した。この頃、既に米軍の反撃が激しさを増すの
に対し、補給の続かないガ島の日本軍は苦戦を強いられ、後退を余儀
なくされていた。
日本軍のガ島撤退後、連合軍の進攻は北上してラバウルを孤立させ
ニューギニア、ミンダナオ、比島、沖縄、日本と進撃するマックァー
サー将軍と、マーシャル群島、トラック島、マリアナ群島を経て日本
本土上陸を狙うニミッツ提督との両案により行動が開始され、北上し
て進攻する連合軍は、昭和18年7月にコロンバンガラ8月にはベラ・
ラベラと攻め上がり、その一方ではソロモン諸島の東に位置するギル
バート諸島のマキン、タラワの両島を狙っていた。
(註、
日本海軍戦闘海域地図を参照)ここをクリック
昭和18年10月伊号第 175潜は、進攻する連合軍の軍需物資の補給路
を断つためハワイからエスピリッサントを結ぶ海域で哨戒任務に従事
していた。11月20日、ニミッツ提督率いる部隊は、ギルバート諸島の
タラワ、マキンに攻撃開始してきた。第6艦隊司令部は伊号 175潜に
対し「至急、マキン島沖に急行せよ」を下令、集結している上陸部隊の
攻撃を命じた。
11月25日朝、マキン島西方に米第5艦隊の護送空母群を発見、好射
点を探りながら好機を狙う、1410(午後2時10分)「発射用意 射てっ」
艦長の号令で艦首発射管の魚雷4本が発射された。丁度右舷横腹を見
せていた、護送空母リスカム・ベイの右舷後部に一発が命中、火炎は
後部の航空機用弾薬庫の爆弾や爆雷を誘爆、瞬時にして大爆発を起こ
し、リスカム・ベイは乗員の6割以上と搭載機23機を乗せたまま真っ
二つに折れ、見る間に沈没していった。余りにも短時間の出来事で、
米軍が慌てて救助活動をしてる間に、まんまと伊号第 175潜は戦場を
離脱、 マーシャル群島クエゼリンを経由し12月1日、第6艦隊の根拠
地カロリン群島トラック島に無事帰還した。
護送空母とは言え、警戒厳重な船団の中に潜り込みリスカム・ベイ
を一撃のもとに轟沈させた事は鍛え抜いた日本潜水艦の巧みな攻撃術
と強力な魚雷の威力とを世界にまざまざと見せつけたと言える。
昭和19年1月8日、第6艦隊司令長官喬木武雄中将より伊号第 175
潜水艦艦長は表彰状を受けている。
次ページ 潜水艦戦の総括
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