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日本潜水艦史

第三章 潜水艦の戦い

   序文

    日本海軍は開戦時64隻、戦争中に126隻を竣工させ合計190隻の潜水
   艦を駆使して太平洋戦争を戦った。しかし、この潜水艦の戦いを期待
   外れとか、たいした活躍がなかったような評価をする向きがあるが、
   決してそうではない。太平洋戦争に於いて日本潜水艦の働きは、米軍
   のそれと比べ、相手国の国勢を落とし込むまでの働きは出来なかった
   が、太平洋上いたるところにあり、その作戦に従事し米海軍に与えた
   打撃は少なくない、又期待外れと言うなら、これを甘んじて受けよう
   だが、それにはそれなりの理由があるからだ。
    本来日本海軍が潜水艦の保有を決めたのは、日露戦争で日本艦隊の
   主力戦艦6隻の内、初瀬と八島が露国の機雷に触れ一挙に2隻が沈没
   その失った戦力不足を補おうとした時であった。その後、水上艦艇の
   発達に伴う高速化で、潜水艦は追随が困難になりその使用価値が疑問
   視され出した頃、欧州戦線では潜水艦の攻撃は専ら無武装の商船に向
   けられ大きい戦果を挙げていた。
    第一次大戦後、米英による主力艦の劣勢比率を課せられた日本海軍
   は、再び潜水艦により主力艦の劣勢を補おうとする方針を決め、作戦
   主要兵器として重要視し整備を急務とした。潜水艦を以て米艦隊の渡
   洋進航を迎撃する、いわゆる「漸減作戦」を実施するため高速で航続
   力が長大な潜水艦の建造に成功し、猛訓練の結果「艦隊決戦用」にも
   活用する日本独特の作戦構想による潜水艦隊をつくりあげた。
    米英独の潜水艦は偵察攻撃と通商破壊を主な目的とし、標準的だが
   量産容易な艦を多数建造したが、日本海軍は元から敵主力艦に反復攻
   撃をかけ戦力の漸減を狙いとし、艦隊に随伴出来る速力、航続力、そ
   れに太平洋の荒天にも耐える凌波性を備える、より高性能な艦を目指
   し多くの型式が造られた。
    その中でも、列強海軍国で計画を取り止めた航空機搭載潜水艦に於
   いては、日本海軍の独壇場で初期には小型偵察機を搭載したが、戦争
   末期には攻撃機3機も搭載する潜水空母とも言える大型艦を戦闘に投
   入するに至った。他にも日本海軍独特の自動懸吊装置、重油漏洩防止
   装置等優れたものがあった。
    このように世界の水準を優越した潜水艦が何故、太平洋戦争に於い
   て期待外れの戦果で終わったのか、これには多くの要因があるが端的
   に結論を言うなら、潜水艦の活用法を間違えたのである。
    元々、敵主力艦を襲撃する「艦隊決戦用」として造られ、それを目
   的に猛訓練を積んできた潜水艦隊に、多くを期待し過ぎ、多種多様な
   任務を強いて、本来の特性を活かした隠密裡に奇襲する作戦に使用せ
   ず、急激な進歩を遂げた対潜兵器の中に無謀とも言える強襲突入を繰
   り返し喪失を多くしてしまった。亦資源力が乏しい日本海軍は、少数
   精鋭主義で戦おうとしたが予想以上の消耗戦に、生産が追いつけず、
   隻数の絶対不足で戦わなければならなかった。平凡だが数を頼みとす
   る米国の量産主義、強いては物量戦に負けたと言っても過言ではなか
   ろう。
    しかし、日本の潜水艦隊も黙って敗れたわけではない。各艦とも優
   れた性能を全力で活かし、相当の戦果を挙げ、連合軍に与えた打撃は、
   我が軍の作戦を幾度となく有利に導いた。又商船撃沈十数隻に昇る艦
   も少なくなく、単独で空母をも撃沈している。若しも、初めから重点
   を通商破壊の如く適切な使用法に於いて製作と訓練を重ねていたら、
   更に遥か大きい戦果を挙げ得たことは疑いないであろう。
    優秀な造艦技術で建造された潜水艦は、列強海軍国のそれに優とも
   劣らず、また乗員の技量も猛訓練により極限まで鍛えあげられていた
   筈だからである。
    ただ潜水艦は遠洋まで出撃し、単独で撃沈されることが多く、潜水
   艦の沈没は全員戦死がほどんとで記録も消失、このため戦果が知られ
   ない事が多い。
    それでは、その数少ない記録の中から日本潜水艦の戦闘記録を繙解
   いて行こう。


  1 太平洋戦争緒戦の活躍

   ハワイ海域と米西海岸

   @ 伊号第6潜水艦(巡潜2型)

    昭和16年11月の16日より21日にかけ、横須賀に集結していた第1、
   第2潜水戦隊の潜水艦11隻は演習を装おい、分散して母港を後にして
   いった。その第2潜水戦隊、第8潜水隊の一艦が「伊号第6潜水艦」で
   あった。出港後、全員集合がかかり艦長より、「日本は米国に対し宣
   戦布告をする」との訓示があり、艦内に一瞬緊張が走った、しかしそ
   れはすぐに歓声に変わった。
    当時の第2潜水戦隊は特設潜水母艦「さんとす丸」に伊号第7潜水
   艦を旗艦とし、第7潜水隊(伊号第1、2、3潜水艦)、第8潜水隊
   (伊号第4、5、6潜水艦)で編成されていた。横須賀を出撃後は12月
   8日に予定されている真珠湾奇襲攻撃の先遣部隊として一路、ハワイ
   諸島オアフ、モロカイ、カウアイの各島付近の散開地点に急いだ。
    任務はハワイ方面の米艦隊の監視と邀撃、また日本軍の奇襲攻撃で
   逃げ出してきた米艦船を討ち取ろうと言うのである。
    12月8日の奇襲攻撃は大成功のように見えたが、肝心の空母が不在
   で撃滅することが出来なかった。それ故、一月余りも第2潜水戦隊は
   ハワイ付近にあって米空母艦隊の動向を探っていた。果たせるかな!
    昭和17年1月12日夕刻、伊号第6潜水艦はハワイ南西500カイリ
   で探し求めていた米空母発見! 「主力大型空母サラトガだ」すかさ
   ず「魚雷戦用意」艦長の命令が飛ぶ、敵は気付かずのんびりと航行し
   ている、好発射位置点を狙いサラトガと並航する。
    巡潜2型の伊号第6潜水艦は水上速力21ノットまで出せる、十分に
   追い越すことも出来るのだ。「目標、空母、距離4,500、速度15ノット、
   艦首発射管4、発射用意」しかし発射管4本のうち一本が故障だ、艦
   首発射管3本に決めて、艦長は潜望鏡で好機を狙う。
   「よう〜い、てぇ!」 魚雷3本は、サラトガ目指し突っ走る、艦内
   に静寂が走る、秒針が時を刻む音だけが響く、時をおいて「かぁ〜ん」
   という甲高い金属音、続いて「グワ〜ン」爆発の轟音が伝わる。
   「命中だ!」。
    魚雷3本のうち1本がサラトガの左舷中央部に命中、船腹を抉り缶
   室3つに浸水、撃沈は出来なかったが修理に4か月を要する損傷を与
   えた。


   A 伊号第26潜水艦(乙型、伊15潜型)
    昭和16年11月19日、伊号第26潜水艦は、横須賀に集結していた第1
   水雷戦隊の寮艦と別れ一足先に単艦、母港を後にした。任務は真珠湾
   奇襲攻撃の先遣隊として、北方海域の要地偵察後ハワイ方面の米艦隊
   監視および邀撃であったが、乗組員には防諜を考慮して出港後に知ら
   された。艦長の訓示は「12月8日を以てアメリカと開戦する、しかし
   その前に中止の電報が入ったら直ちに帰投せよ」というものであった
   が、「そこまで行って帰れるか!」今まで猛訓練の成果を目にものを
   見せんと、艦内の意気が挙がった。伊号第26潜水艦(伊26潜と省略)は
   一路北方海域に向け北上を続けた。
    この、伊26潜は開戦劈頭より商船8隻撃沈、1隻撃破、ソロモン戦
   では米空母サラトガを撃破、米軽巡ジュノーを撃沈するなどの活躍を
   した武功高い潜水艦である。ここでは、そのうち開戦早々に挙げた、
   米輸送船撃沈の一番手柄の話をしよう。
    出港後一週間、日中は潜航し夜間に浮上、電池を充電しながら水上
   走航を続けてきたが、北上するにつれ外気の温度は極度に低く零下30
   度にまで下がった。目前にアリューシャン列島を見ながら、北方海域
   の要地偵察を開始した。
    最初にアツッ島、つづいてキスカ島に潜航して近ずき潜望鏡を上げ
   観察するが異常なし、次にアダック島、最後はダッチハーバーの湾内
   を潜望鏡偵察をするが特別な艦艇も在泊せず、何人かの警備兵が見え
   るがさして緊張感もなし、日本艦隊の奇襲には気付いて無いようだ。
    安堵を胸に、偵察任務を終えた伊26潜は予定配備海面の米西海岸に
   向け舵を南東にとった。南下するにつれ今度は逆に温度が上昇し始め
   北方海域を抜け出したことが気温で判る。
    12月2日、「新高山登れ」12月8日を以て開戦をすると言う暗号電報
   を受信、いよいよ戦争だ!緊張感高まる中、伊26潜は南下を続ける。
    12月7日、サンフランシスコ沖480kmに米輸送船を発見、まずは
   手始めに撃沈しようと勇み立ったが、まだ開戦の通達を受けていない、
   敵に気ずかれぬよう追跡をしながら相手の針路と速度を計測、日没を
   待って浮上、夜間洋上を高速走航し先回りをして機会を狙う事にする。
    12月8日早暁、計算違わず、明るくなるにつれ昨日の米輸送船が、
   艦尾方向水平線上に現れてきた。0230(日本時間、午前2時30分)総員
   戦闘配置に付き、潜航して攻撃の時期を計る。潜望鏡深度にて、米輸
   送船の船型、武装の有無などの詳細を観察、武装が無いのを確認した
   艦長は浮上し砲戦で沈めようと決めた(当時、日本の潜水艦は高価な
   魚雷の使用に規制があり、商船、駆逐艦などでは1本、戦艦、空母等
   の主力艦のみに全斉射6本が許されていた)。
    12月8日0330(午前3時30分)、ハワイ時間7日0730、開戦の時刻で
   ある、艦長は急速浮上砲戦を発令「メインタンク、ブロー」伊26潜は
   海面に浮き出るや否や、ハッチが開かれ、飛び出した砲員は艦首の砲
   に取りついた。一瞬の出来事である、「射撃開始!」米船との距離約
   千メートル、至近距離で並行しつつ左砲戦で射撃、初弾は無警告攻撃
   を避け、威嚇の意味で標準を遠方に発射。米船からは乗員がボートで
   脱出するのが目視できた、続いてねらいを定め数発発砲、輸送船の艦
   橋付近に火災発生するが沈没のようす無し。乙型潜水艦は14cm砲を主
   砲としており、軽巡のそれと大して変わらず、1門だけの破壊力を見
   れば駆逐艦よりも大きい、普通の商船なら数発で撃沈できるはずなの
   だが!、更に、20数発射撃後、船体が傾斜しながら沈下するを確認、
   米船は当然「SOS」を発してるだろう、それにより敵の駆逐艦か飛行
   機にでも来られては面倒、これ以上の長居は無用と沈没するのを見ず
   潜航しこの場を離脱した。
    この船は、米国陸軍徴用の貨物船シンシア・オルソン号2140総トン
   で、米軍が駆けつけたときは、まだ沈まずに横倒しのまま浮いていた
   という。
    これが太平洋戦争で、日本潜水艦が敵艦船を撃破した初手柄第一号
   であった。


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   B 伊号第168潜水艦(海大6型a)

    昭和17年6月5日、ミッドウェー海戦で連合艦隊の航空戦隊は思い
   もよらぬ不覚をとり、真珠湾攻撃の精鋭、第1航空戦隊、赤城、加賀、
   第2航空戦隊の蒼龍、飛龍を一挙に失う大打撃を受けたのである。
    日本軍は、米海軍の拠点ミッドウェーを攻略、米機動部隊を誘い出
   し一挙に撃滅せんと5月27日、連合艦隊の総力をあげ瀬戸内海の桂島
   を出撃した。
    第1航戦と第2航戦を基幹とする機動部隊は6月5日ミッドウェー
   西方230浬の地点に到達、攻撃隊を発艦させたが、すでに暗号解読
   により日本軍の来襲を察知していた米機動部隊は、第一次攻撃隊の収
   容時期を見計らい襲いかかった。
    奇襲を受けた航空戦隊の赤城、加賀、続いて蒼龍が大火災を発して
   戦闘不能、0730(日本時間午前7時30分)ただ1隻だけ残って奮闘する
   「飛龍」に、「筑摩」索敵機から米空母群の正確な位置を知らせてきた。
   この報に接し、第2航戦司令官山口多聞少将はただちに敵空母攻撃隊
   を編成。
    0758、小林大尉を指揮官とする99艦爆18機、零戦5機からなる第一
   次空母攻撃隊を発艦、0910、艦爆隊は敵空母ヨークタウンを攻撃、大
   火災を発生させた。
    1031、収容した第一次ミッドウェー攻撃隊のうち、稼働可能な残存
   機のすべてを集めた、97艦攻10機、零戦6機の第二次空母攻撃隊を発
   艦させた。97艦攻雷撃隊は、さらにヨークタウンを攻撃、魚雷命中さ
   せ航行不能に陥れた。この空母にとどめを刺したのが伊号第 168潜水
   艦である。
   「伊号第168潜水艦」は第3潜水戦隊、第12潜水隊に所属。昭和17年5
   月23日、ミッドウェー攻略作戦の先遣隊として第3潜水戦隊旗艦、伊
   号第8潜水艦と第11、12潜水隊の寮艦5隻と共に呉を出撃した。
    伊 168潜の任務は、ミッドウェー島の飛行場を艦砲射撃し、米機動
   部隊を誘い出すと言うものであり、6月5日、同艦は作戦どうりに敵
   飛行場を主砲50口径88式10cm高角砲で数発射撃後、潜航退避した。
    しかし、その頃すでに味方空母3隻は戦闘不能に陥り唯一隻、飛龍
   のみが奮闘、敵空母ヨークタウンに打撃を与えていた。その飛龍も、
   1403、突如、真上から敵急降下爆撃機、数十機の爆撃を受け被弾炎上、
   空母なき残存の機動部隊は、夜戦を決意追撃せんとするが艦隊司令部
   はこれを制止、攻略作戦中止反転を命ずる。
    6月7日早朝、第3潜水戦隊司令官より、飛龍の攻撃で損傷を受け
   退避中の「敵空母を捕捉撃沈せよ!」の命を受けた伊 168潜は直ちに
   行動開始、まもなく曳航されてる敵空母ヨークタウンを発見した。
    だが空母の周りには駆逐艦数隻が護衛している、即攻撃とは行かな
   い。敵は曳航しているため速度は鈍い、雷撃の好射点を狙い奮闘する
   こと9時間、3ノットの低速で機会を狙う、1000(午前10時)頃、駆逐
   艦の護衛網をかいくぐり、わずか900mの近距離まで接近。前部発射管
   全4門「発射用意」続いて「射(テーッ)」の令で4本の魚雷が射ち込
   まれた。
    伊 168潜は急速潜航、深度70、潜航安全深度ぎりぎりで身を潜める、
   轟音1発、続いて2、3発、4本発射の内2本は空母左舷中央部の艦
   底近くに命中、大穴を開ける、後の1本は空母に横付けしていた駆逐
   艦ハンマンに命中、これを撃沈した。ヨークタウンは深い部分の破口
   から高い圧力で海水が一気に缶室まで浸水、沈没。
    その直後より、怒り狂ったような駆逐艦の爆雷攻撃を半日以上も受
   けたが沈着冷静な名艦長、田辺弥八の操艦により虎口を無事脱出成功
   見事に帰還した。
    これはミッドウェー海戦で日本海軍が挙げ得た唯一の戦果であり又
   潜水艦が敵空母沈めた初手柄でもある。伊 168潜はその後、ソロモン
   戦でも、米重巡チェスターに再起不能の損傷を与えた。


    昭和16年12月8日、ハワイのオアフ島とカウアイ島間に配備されて
   開戦を迎えた、第7潜水隊の伊号第1、2、3潜水艦、3隻は、同じ
   監視行動をしていた。真珠湾攻撃後、第2段作戦として湾内の敵艦船
   を誘い出すため、16年12月31日ハワイ諸島の要衝に艦砲射撃を加えた。
    伊第1潜はハワイ島ヒロを砲撃、伊第2潜、マウイ島カフルイ港を
   砲撃、伊3潜はカウアイ島ナウィリウィリ港を砲撃。又12月末に監視
   区を徹するまでに、カウアイ海峡に潜航し商船など船舶3隻を撃沈の
   戦果を挙げた。


    昭和17年9月9日、伊号第25潜水艦は米国西海岸のオレゴン州の沖
   にいた。「急速浮上、飛行機射出用意、メイン.タンク.ブロー」の
   号令で、潜水艦は浮上する、丸い長い格納筒から、胴体、主翼、プロ
   ペラと、分解された部品を次々と引き出して、カタパルト上の胴体に
   手際良く組み付けて行く、この間に搭乗員の藤田信夫飛曹長(操縦)
   奥田兵曹(偵察)は艦長より飛行命令を受け、座席にすべり込む、最
   後に尾翼組み立て完了とともに整備長の合図で、発動機の試運転開始
   この間約7分の出来事である。
    ウオームアップが出来たとこで「発射用意 テーッ」で射出された
   零式小型水偵による米西海岸のオレゴン州山中への焼夷弾夜間爆撃は、
   唯一の米本土爆撃として知られる。


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   東南アジアと北方海域

   @ 伊号第66潜水艦(海大5型)後の伊166潜

    伊号第 166潜水艦は第5潜水戦隊、第30潜水隊に所属し、開戦と同時
   に東南アジア方面に進攻してくる日本攻略部隊に協力する命を受けてい
   た。開戦時、第1、2、3潜水戦隊はハワイ方面、第4、5潜水戦隊は
   東南アジア海域に進出、敵の情勢監視を任務としていた。
    ハワイ方面の作戦は大成功に進み、同時にアジア南方進行作戦も順調
   に進みつつあった。この南方の島々は天然資源の宝庫で、日本が戦争を
   続けてていくには絶対的にこの地域を手中に収め、石油、アルミ、ゴム
   等の資源を日本本土に送らなければならない。しかし、これには大きな
   難題があった、この天然資源が豊富な島々のほとんどが英、仏、蘭国の
   植民地なのだ。当然、英国は日本軍の攻略部隊の前に、新鋭戦艦2隻を
   送り込み進撃を阻止せんとした。
    従来、英国の東洋艦隊は大型艦でも一万トン級巡洋艦であり、それが
   一挙に英海軍の虎の子とも言える新鋭不沈戦艦プリンス・オブ・ウェール
   ズと高速戦艦レパルスの2隻を派遣してきた。日本海軍の南方部隊には
   この2大戦艦と互角に戦える艦はいなかった。しかし、英戦艦の出撃を
   いち早く察知した第5潜水戦隊の伊号第65潜水艦からの報告と接触し続
   けた伊号第59潜水艦の情報より、第一航空部隊より発した攻撃隊はこれ
   を捕捉、撃沈してしまった。(詳しくは
マレー沖海戦をクリック)
    大きい勢力は排除できたが、まだ小勢力の米、英、濠、蘭の連合軍が
   日本の進行を妨害してくる、そこで第5潜水戦隊は、これから攻略すべ
   きジャワ、ボルネオ島方面の油田地帯上陸作戦に協力、連合軍の襲撃に
   備え警戒に従事していた。
    昭和16年12月25日、第5潜水戦隊、第30潜水隊の伊号第66潜水艦は、
   中国南部の海南島より南シシナ海を南下、ボルネオ(現カリマンタン)島
   の東岸クチン沖を警戒航行中、水平線彼方に敵らしき艦影発見「潜航!」
    日本海軍の見張り員は優秀であった、鍛えられた肉眼に優れた光学兵
   器(15cm見張り用双眼鏡等)の使用で、たいていの場合敵よりさきに発見
   戦いを有利に導くことが出来た。レーダーの出現で立場が逆転したが!
    「魚雷戦用意!」潜望鏡深度で敵艦の様子をうかがう、敵は何も知らず
   に近ずいてきた「オランダ潜水艦だ!」「射(テーッ)」魚雷1本が発射さ
   れた、雷跡は吸い込まれるようにオランダ潜水艦に向かう「グゥワ〜ン」
   艦内に爆発の衝撃が伝わる、「轟沈」蘭、潜水艦は呆気なく沈んだ。
    この潜水艦はオランダの「K16号」潜水艦で、前日、24日の戦闘で我が
   駆逐艦「狭霧」を雷撃により撃沈していた。伊号第166潜水艦は「狭霧」の
   仇を見事に討ち取ったのである。又「K16号」の撃沈は、日本潜水艦が、
   敵の軍艦を沈めた、日本戦史上初の出来事であった。


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   A 呂号第 61潜水艦

    昭和17年6月5日、日本軍はミッドウェー攻略作戦と併行して、北方
   海域にあるアリューシャン列島のアッツ、キスカ両島の攻略作戦も実施
   した。しかし、ミッドウェー作戦の思いもよらぬ大敗により、連合艦隊
   は前面引き上げを考えたが、米軍の北方よりの脅威に備えるためアッツ、
   キスカ両島の作戦のみ実施、一日遅れで、この両島攻略に成功した。
    だが、占領して数日も経たぬうちに米軍の反撃は始まった、6月12日、
   米海軍機カタリナ双発飛行艇2機がキスカ島を襲った。この空襲により
   キスカ湾に在泊していた、北方警備を任務とする第5艦隊の駆逐艦「響」
   が右舷艦首水線上に被弾、破口を生じ、軽巡木曽も至近弾により損傷、
   その他の艦船も少なからずの被害を受けた。さらに7月5日には、第1
   艦隊より編入され、攻略作戦時より北方警備に従事してきた、第1水雷
   戦隊、第21駆逐隊の「子の日」が、アッツ島南の洋上で、米潜水艦トラ
   イトンの雷撃を受け沈没するなど、米軍の反抗も激しいものがあった。
    このような時、第7潜水戦隊が北方部隊に増援されてきた、本来この
   第7潜水戦隊は南方部隊の第8艦隊に所属し、トラック島の防衛を任務
   としていたが、損傷部修理で内地に帰投していたのを機会に、北方防備
   に派遣されたのである。任務は、唯一、第5艦隊の目として働いていた
   水上機母艦君川丸と協力、日本本土からの輸送船を攻撃してくる米艦隊
   の撃滅である。
    飛行場のないアッツ、キスカ島では、水上機母艦の搭載する零式3座
   水上偵察機と、台湾から進出してきている航続距離 4,000kmを誇る97
   式大艇が、哨戒、偵察の主力をなしていた。
    果たせるか! 零式3座水偵はアトカ島ナザン湾に停泊する米水上機
   母艦を発見「アトカ島ナザン湾に大型艦停泊」を第5艦隊に向け打電し
   た。この報告に接し、直ちに第7潜水戦隊より呂号第61潜水艦が出撃、
   アトカ島の東岸にあるナザン湾に潜入を試みる。警備は以外にも手薄で
   苦もなく敵艦発見、800mまで接近、魚雷発射!
    昭和17年8月31日、呂号第61潜水艦は「アトカ島ナザン湾にて、米飛
   行艇母艦を撃破」を打電、その後、連絡が途絶えた。
    戦後、米軍の情報によると、飛行艇母艦は新鋭の「キャスコ」で、こ
   の時魚雷3本の攻撃を受けたが、1本が艦中央部の機関室に命中、浸水
   による沈没を避けるため艦長は、浅瀬に艦を乗り上げ沈没を防いだ。
   「キャスコ」は当時、アッツ、キスカ島に爆撃を続けていたPBYカタ
   リナ双発飛行艇の母艦として、燃料や弾薬の補給又搭乗員の休養の場を
   提供していた。「キャスコ」が離礁するには2週間をついやし、その間
   のカタリナ飛行艇による、偵察、哨戒任務に大きな支障を来した。
    この呂号61潜水艦は英国で設計されたL型潜水艦最後の型式で、これ
   を三菱造船所がライセンス生産したものであり大正13年2月竣工の艦令
   既に20年になろうかという老巧艦であった。だが、性能の優秀さと開戦
   以来の潜水艦戦力の不足が、この老艦を戦場に駆り出していたのだ。
   (L型潜水艦の詳細はL型潜水艦の建造 ここをクリック)
    話を戻そう、呂号61潜は飛行艇母艦「キャスコ」を雷撃後、ナザン湾
   を潜航のまま速やかに脱出。明けて翌9月1日朝、浮上し航行中を米軍
   基地哨戒機に発見され爆撃を受けたが、これは急速潜航で何とか逃れる
   ことが出来た、しかし!更に米駆逐艦レイドの爆雷攻撃を受けた、被爆
   し、これ以上の潜航は不可能と判断した艦長は浮上して砲撃を命ず。
    主砲を以て交戦するも、浮上した潜水艦は駆逐艦の敵ではなかった。
    呂号第61潜水艦は、武運尽き、長年日本海軍の潜水艦隊にあって親し
   まれてきたその姿を海中に没した。アリュウシャン列島アトカ島ノース
   岬南東、北緯52°36′西経173°57′の海底に「呂号第61潜水艦」いま
   も眠る。


                      次ページ 南太平洋の戦い
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