B 人間魚雷「回天」
昭和19年2月17日、南方最大の海軍基地、トラックが米機動部隊
の大空襲を受け壊滅的打撃を受けるに至り、軍令部は艦政本部及び
航空本部の技術陣に対し「之れだけあれば必ず戦局を挽回出来るし
之れなくしては必ず負ける」という特殊な攻撃艇と兵器九項目を、
@(まる一)からH(まる九)の仮称で提案された。
このうちEと呼ばれるのが後に「回天」と命名されるのだが、これ
より一年先、後退ぎみの戦勢を打破する兵器として人間魚雷の構想
が黒木博司中尉(回天実験中殉職)、竹間忠三大尉ら青年将校によ
り司令部に提出されていた。
人間魚雷は昭和19年2月26日試作が訓令され、呉工廠大入工場の
極秘区画で秘匿名称E金物として魚雷設計の権威渡辺清水技術大佐
を主任とし、鈴川薄技術大尉と数人の技手らで3月始め設計試作を
始めた。
後に「回天1型」と命名されたE金物とは、動力に93式改3型魚雷
を殆どそのまま使用、之れに操縦装置となる外筒と特眼鏡を施し、
頭部に1,500kg の炸薬を充填して人間の操縦により必中を期した強
力な水中特攻兵器で、関係者の中では単に「筒(トウ)」とも呼ばれ
ていた。原計画では、接敵して針路を固定し、搭乗員はハッチより
艇外洋上に脱出する緊急脱出装置が付加されていたが実用化の際に
は廃止され、生還不可能の兵器となった。
1型は魚雷の酸素を燃料に用いて走行し、全長14.7m、直径1m
射程は30ノットにて23km、12ノットでは78kmにも達した。これと並
行して全長16.5m、直径1.35m、主燃料を過酸化水素と水化ヒドラジ
ンとした6号機械を搭載し、射程は40ノットにて25km、20ノットで
は83km走航する回天2型の生産も進められた。更に1型と同じ燃料
で、6号機械を搭載し40ノットにて27km、20ノットでは62kmの回天
4型や電気推進の回天10型も開発されたが、量産が困難なため計画
は中断された。
回天の搭乗員は1型1名、2、4型は2名でいずれも頭部に炸薬
1.5t以上を有し、通常の魚雷の500kg に比して数段と大きい破壊力
を秘め、小艦艇ならば一発轟沈を期し得るものであった。
製作主務は艦政2部(水雷)で、筒体の製造に4部(造船))が又2
4型の主機械たる6号機械の設計製造に5部(造機)が当たったが、
2、4型では、主機械たる6号機械の量産が間に合わず本体部が約
200 基完成しただけで陸上実験を終了した時に終戦となった。
因って実戦に供したのは1型のみで、昭和19年11月20日のカロリ
ン群島ウルシー泊地攻撃を初陣として、その後、敵の電探、水測兵
器に制圧され不振を極める潜水艦戦最後の望みを託され、独り回天
のみは能く敵基地に潜入あるいは洋上において敵船団攻撃等で戦果
を挙げ、米海軍を恐怖の淵に陥れた。
終戦迄に約 420基が完成、本土決戦に最も期待された兵器であり
又洋上で最後まで戦い続けていた唯一の兵器であった。
(「回天」戦の詳細は、第3章 潜水艦の戦いで記載予定)
「回天」1型 2型要目表
1型 2型
全重量 8.3トン 18.4トン
全 長 14.75m 16.50m
直 径 1.00m 1.35m
機 関 魚雷用機関 1基、1軸 6号機械 1基、1軸
燃 料 酸素196リットル 過酸化水素 水化ヒドラジン
速 力 30ノット(水中) 40ノット(水中)
航続力 30ノットで12.4浬 40ノットで13.5浬
炸薬量 1,550kg 1,500kg
乗員数 1名 2名
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